関ジャニ∞渋谷すばると元KAT-TUN赤西仁との比較で見えた「スペオキから脱落した瞬間」

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かつて“干された”ことのある渋谷すばるの悲劇

 こうして、デビュー後にグループを脱退、ジャニーズ事務所を退所したタレントたちのケースをいくつか眺めてみると、やはり渋谷すばると赤西仁を比較した際のジャニーズ事務所の扱いの不平等が浮き彫りとなってくる。

 つまり、ジャニー社長のお気に入りであれば、たとえメンバーやファンを裏切ったとしてもある程度は自由に活動することができるが、そうでなければ、事務所を辞めない限りは自由な活動は許されないのだ。将来性や売り上げ、本人のセンスなどといったさまざまな要素を考慮した上でビジネス的な判断がなされるのが、タレントビジネスの常道だと一般人としては考えるだろう。しかし実際にはそうではなく、ジャニーズ事務所においては、事務所上層部から気に入られているか否かが、その後の活動のあり方を左右する最重要な要素となってしまうのである。

 しかし渋谷すばるもかつては、ジャニー社長のお気に入りだといわれていた。1990年後半のジャニーズJr.時代は、滝沢秀明と共にこの時代のジャニーズJr.黄金期を牽引。嵐としてメジャーデビューする直前の二宮和也とドラマ『あぶない放課後』(テレビ朝日系)でダブル主演を務めたこともある。しかし、渋谷すばるは当時からすでにアーティスト志向が強かったこともあり、アイドル活動に疑問を感じたのか仕事をセーブするようになると、あっという間にお気に入りポジションから脱落。渋谷のメディア露出は極端に減少し、どん底時代を経験することとなった。

 2002年以降、渋谷すばるは関ジャニ∞(結成当初は「関ジャニ8」)として再び表舞台で活躍することとなるのだが、彼のアーティスト志向が強いことは変わらず、バラエティー路線を進むグループのあり方とは徐々にズレを感じるようになったようだ。苦悩を抱きながら関ジャニ∞として活動していた渋谷だったが、バラエティ仕事ではときにやる気のない仕事ぶりを見せ、それがテレビなどのメディアを通してファンの目に触れることもあった。そういった状況を快く思わない藤島ジュリー景子副社長との関係が悪化していたという情報もあり、事務所内にとどまりづらい状況もあったに違いない。

 とはいえ、もしも渋谷すばるに上記のような“どん底時代”がなく、一貫してジャニー社長のお気に入りであり続けていられたならば、少なくともしばらくの間は、赤西仁のように自分の好きな音楽活動をジャニーズ事務所に所属したまま実現できていた可能性は高いだろう。そういう意味では、ジャニー社長のお気に入りでなくなった瞬間から、現在のような状況に陥ることが運命づけられていたのかもしれない。渋谷すばるは、まるで真綿で首を絞められるように、徐々に、徐々に追い詰められ、居場所を奪われていったのではないだろうか。

 なんとも異例な脱退記者会見の裏に垣間見えた、ジャニーズ事務所の闇。我々ファンとしては、渋谷すばるの選択が正しいものとなり、ソロのアーティストとして成功することを祈るばかりである。

(青野ヒロミ)

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