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坂上忍がパワハラに無反省でいられるのはなぜか 「いくら叩かれたっていいじゃないですか。叩かれに行きましょうよ」という姿勢の傲慢

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 先月発売されたばかりの新著『おまえの代わりなんていくらだっている 覚悟の仕事論』(新潮社)に、その理由のひとつと考えられる話が綴られていた。坂上忍は10代の頃にお世話になった先輩から助言された「役者を続けるなら、普通の感覚を忘れちゃダメだよ」という言葉を守っており、電車やバスを利用したり、芸能界以外の友人を大切にするなど、「普通の感覚」を保つための努力を続けているという。そういった努力のひとつとして、このような習慣を紹介している。

〈わたしが、自身が出演している番組だったり作品を一切観なくなったのも、観ると反省をし過ぎてしまうからという理由の他に、画面に映る自分に悦を覚えてしまいかねない自分を感じ、その味を知ってしまうと普通が遠のきそうな恐怖がどこかにあるからなのかもしれません〉

 ここで語られている〈画面に映る自分に悦を覚えてしまいかねない自分を感じ〉というのは、「芸能人である自分」を意識させないための一見もっともらしい理由に思える。しかし、逆に言えば、自分の発言に周囲がどうリアクションしていたかということを客観的に見る機会を自ら放棄しているともいえる。そういった「自らを顧みる機会」をもっていないのなら、先に挙げたような炎上騒動は永遠に繰り返され続けるだろう。

 今月15日放送『ボクらの時代』(フジテレビ)で坂上は、「ネットの意見はいっさい見ません。匿名のものは見ません、僕は。こっちは顔出ししてやってるわけだから」とも語っている。確かに、ネットの意見には愚にもつかないものも多いのかもしれない。だが、視聴者からの意見をフィードバックさせようとしない傲慢な姿勢は、あまりにも危うい。いまは世間に「歯に衣着せぬ発言」と評価されて人気司会者のひとりとなっているが、「歯に衣着せぬ発言」と「単なる世間ズレ」の間を隔てる壁は薄い。他人の意見をシャットダウンしていれば、「単なる世間ズレ」になってしまったとしても、それに気づくのは遅くなるだろう。

 坂上は前掲『おまえの代わりなんていくらだっている』のなかで、〈わたしの場合、世間様からなんとおもわれようと、自分の言いたいことを言い切る。そう覚悟を決めてしまえばこんなに気持ちのいいことはない。だって言いたいことがあったってなかなか口に出せないのが今の世の中なんですから〉と綴っている。現在のテレビ業界が坂上忍を求めているのは、確かにその部分だろう。

 その一方で坂上は〈言いたいことといっても選別は大事です。慎重なる言葉の選択は必須条件〉とも綴っている。だが、放送における彼の態度や発言からは〈慎重なる言葉の選択〉をしているとは到底考えられない。そして、それはやはり、自分の仕事を客観的に振り返り、批判にも耳を傾けなければ不可能な作業なのではないだろうか。

 坂上は前掲書のなかで、〈失敗を犯してしまった時の覚悟さえ持っていれば恐れることはなにもない。自分で責任を取ればいいわけですから〉としながら、〈いくら叩かれたっていいじゃないですか。叩かれに行きましょうよ。で、仕事を楽しみましょうよ〉とも綴っている。坂上本人が叩かれてもいいと言うのであれば別にどれだけ叩かれようとそれはそれで良いのであるが、その裏では、彼の発言に傷つき迷惑被る人もいる。すでに決して小さくはない影響力を持っている今、そのことを顧みる必要があるのではないか。

(倉野尾 実)

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