
向き合います。更年期世代の生と性
早苗さんは51歳。同じ年の夫と20歳の息子の3人暮らしで、若い頃からずっとサービス業で働くワーキングマザーだ。43歳頃から気分の落ち込みを感じ始め、次第に<更年期うつ症状>に悩まされるようになった早苗さん。自身の壮絶な更年期体験をきっかけに、現在はかかりつけのクリニックが開催する更年期と女性ホルモンを学ぶ会に定期的に出席し、女性の体について学ぶことを続けている。
更年期世代に起こる様々な症状やその対処法など――多くの知識を身に着けたいまだからこそ、自身の更年期を筋道立てて振り返ることができるようになったという。
始まりは寝汗と食欲の変化だった
――体調の変化に気がついたのはいつのことでしょう?
「いま思えば、あれが最初だったのかなと思うんですけど。40代になってすぐの頃、突然、Tシャツをひと晩に2枚着替えるぐらいの寝汗をかくようになりました。それまでは一切そんなことがなかったのに」
――なんだかおかしいな、という感覚はありました?
「いいえ。実は寝汗と同じ頃に、急に食欲がわきだしたんです。私、若い頃から小食だったのに……。『食べたい!』という強い欲求が出たというよりは、いくらでも食べられるという状態になりました。食欲不振なら病気を疑うけれど、食欲が出たんだから体が元気な証拠なんだと思いこんでしまって」
――寝汗について違和感はなかったですか?
「子供って小さな頃すごく寝汗をかくでしょう? その印象があったので、寝汗と突然の食欲増加は『ひょっとすると体が若返っちゃったのかな』とか。ポジティブにとらえてました」
――ではその頃は特に病院には行かなかったと。
「それらの症状が出てしばらく経った頃に、昔から通っている内科に健康診断に行ったんです。そのときに食欲増加の話をしたら、先生が『ホルモンが乱れてるかもしれないから、甲状腺の検査をしましょう』と。でも悪いところはなかったんです」
――その頃、生理に変化はありましたか。
「まったくありません。私、若い頃から28日周期でずれることもなく、生理痛もないタイプで。40歳の頃もそれは変わりませんでした」
――寝汗、突然の食欲増加。ほかになにか症状が?
「次は頭痛ですね。若い頃からもともと頭痛もちだったものが、ほぼ毎日頭痛に襲われるようになりました。でも頭痛薬を飲めば痛みは止まりまた働けるから『痛いなら薬を飲めばいいや』と。そのうちに、痛くなるのが嫌だから、痛む予感がしたら先に飲むようになっていったんです」
――頭痛薬に依存していったんですね……。
「それまで1日1回飲んでいたものが、だんだんと1日のうちに2、3回と飲むように。さすがに自分でもおかしいなと思うようになり、脳外科に行きCTスキャンを取り、いろんな検査をしましたが、どこも悪くありませんでした」
どうしようもない気分の落ち込みに襲われて…
――その診断には納得できましたか?
「はい、そのときは安心して帰った記憶があります。でも次に気分の落ち込みに襲われるようになったんです。はっきりとした理由がなくても、どうしようもなく気分が落ち込んでしまう」
――お仕事はフルタイムですし、十年以上前はお子様もまだ小学生で手がかかった。さぞお忙しかっただろうと思うのですが……
「忙しかったです。だから、私が落ち込んでいても生活は容赦なく続いていくわけですよ。自分で言うのは気恥ずかしいですが、私、とても真面目な性格で。子供のこと、夫のこと、夫と私の両親のこと。すべてに対して全力で向き合って、みんなが快適に暮らせるように常に努力していたつもりなんですね、自分では。でも、相手があることだから、すべてがうまく思い通りにいかないこともあるわけですよね」
――思い通りにいかないことがあると、また落ち込む?
「『どうしてわかってくれないの?』と思うんです。それで、またどこまでも落ちていくわけです」
――更年期障害を発症する原因はホルモンの乱れだけではなく、その人が置かれている環境と、もともとの気質も大きく影響するといわれています。
「ええ、私はその3つが見事に当てはまっていた。だからあんなにも精神が落ち込んでいったんだと、更年期について知識の増えたいまならとてもよくわかるんですけれど」
――環境面でいえば、仕事のプレッシャーなどもあったのでしょうか。
「仕事ではなく、家庭でしょうか。夫と私の両親、どちらともスープの冷めない近い距離に住んでいたんです。両親が老いてくると、私がひとりで彼ら全員のケアをしないといけないと思っていました。どちらの両親からも、夫からも『面倒をみてくれ』と言われたわけじゃない。でもそれは私の仕事、私がやって当然だと思っていた」
――それこそが日本人女性の美学……私たちの世代(アラフィフ)だと、まだそういう概念に引っ張られるところはあると思います。
「いい子になりたかったわけではないけれど、そうすることが結局は自分の評価につながると思っていたんでしょうね……。私の場合、幼い頃から私を評価する人が360度どこを見回してもいるという環境にあって。物心ついたときから常に『自分は周りからどう見られているか』を意識して生きていたんだなと思います、いま振り返ってみれば」
――ご主人と早苗さんのご両親の面倒をみながら、頭痛に悩まされ、気分が落ち込む日々が続いていったんですね。
「その後、子供が一時的に小学校に登校できなくなる時期があって『どうしようか』と夫と話し合うべきことがまたひとつ増えたんです。ただ……そういう話っていくら話し合っても解決策が見えなかったり、意見がすれ違ってしまったりしがちじゃないですか? お互い感情的になることも多々あったんです。ある日、子供のカウンセリングについて話し合いをしていたら夫が『君がそういう状態だから、子供が学校に行けなくなるんじゃないのかな?』『病院に行ったほうがいいのは君なのかもしれないよ』と」
――ご主人もご主人なりに、早苗さんの精神状態が気にかかっていらっしゃったんですね。
「そうかもしれません。それで『あ、私が精神的に落ち込んでいることはやはり子供にも影響しているんだ』と。そこで初めて『病院に行くべきなのは私なんだ』と気がついたわけなんです」
――早苗さんご自身にも「私、どこか変だ」という意識はあったということでしょうか。
「どこかでそう思っていたとは思います。もともと、仕事で疲れて帰ってきても、料理したり洗い物をしたりするのはまったく苦痛じゃなかった。なんでもてきぱきとこなしている自負もありましたし。それなのに、その頃は茶碗ひとつ洗うのも億劫になっていて。『夫も私も昼間同じように働いているのに、なんで私だけまだ働かないといけないの?』と不満でいっぱいになっていったんです」
――それを言葉に出して言われたことは?
「言葉には出さないけど、態度に出ていたんでしょうね。家族からなにか喋りかけられても、つっけんどんな答えしかできなくなっていて」
――ご主人は家事はされますか?
「夫はなんでも自分でできる人です。掃除も炊事洗濯も。私がいつまでたってもなにもせずにグズグズしていると、お風呂入れたり洗い物してくれたり。なにも言わずに黙って」
――素晴らしいご主人ですね。いまの50代で率先して家事をされる男性ってそう多くはないと思いますから。
「はい、とても。でもその頃の精神状態だと『私がやれないからって当てつけ?』『嫌がらせ?』とか。そんな風にとらえてしまうわけです」
――早苗さんがそう感じていることに気づいていたから、ご主人も思い切って病院について一言おっしゃったんでしょうね。
「そうだと思います。気持ちが落ちてるときですから、夫の言葉は腑には落ちても決して前向きにはとらえられなかったですけど……。行かないとダメなんだと、うつむき加減で初めて心療内科に向かいました。43歳の頃です」
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