女の子の冒険はおつかいだけ? 絵本の多様さ・複雑さを解き明かす『絵本を深く読む』

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 書店で児童書担当として働いていた頃に、時々「どの絵本が売れていますか?」「昔好きだった○○という絵本はありますか?」という質問を受けることがありました。

 本屋での絵本は基本的には「大人が子供に与えるものために買うもの」です。幼児の場合、1歳児と4歳児では理解の水準が違いますし、子供ウケと大人ウケにはズレが生じることもままあります。

 こうした質問は、質問者である大人にとっては、絵本を読むというのが自分事ではないことが多いという状況の反映でもあります。ですから、質問を受けた際には、お子さんの年齢による理解度や今どきの人気作について語りながら、「保護者のお気に入りなら、気持ちを込めて読んであげられるから、きっとお子さんも好きになってくれると思いますよ」なんて一言を添えたりしていました。

 大人にとっても絵本は面白い。絵と短い文字というシンプルな構成だからこそ光る作家の個性。「子供」という社会的弱者に向けて差し出される文化だからこそストレートに反映される社会の有り様。そして、これから生きていく子供たちに向けたエールや愛情。それらは、大人になった今でも心に響く、普遍的なものだからです。

 翻訳家であり、児童文学研究者でもある灰島かりの『絵本を深く読む』は、こうした絵本の世界の複雑さや面白さを、多彩な切り口で教えてくれます。

女の子が行ける冒険はおつかいだけ?

 たとえば、男の子と女の子では、絵本の中に描かれる冒険の質が違うことをご存知でしょうか。

 第1章の「成長を占う旅」では、『もりのなか』(マリー・ホール・エッツ)や『はじめてのおつかい』(作:筒井頼子、絵:林明子)、『ゆうかんなアイリーン』(ウィリアム・スタイグ)など世界のベストセラー絵本が例に出され、性別による冒険の描かれ方の違いが細かに分析されます。

 そもそも「日常と異なる場所へ出かけ、他者に出会って成長して帰宅する」というのは児童文学の定番です。男の子の冒険はまさにこのパターン通り。『もりのなか』や『大森林の少年』(作:キャスリン・ラスキー、絵:ケビン・ホークス)では、異界である森をさまよったり、流感(インフルエンザ)による一家全滅を避けるための対策として、遠くの森林伐採場に送られたりします。彼らはそうした苦難の中、クマや大人など他者と交流し、最終的には以前よりたくましくなって戻ってきます。

 対して女の子の冒険の舞台はもっと身近な場所です。なぜでしょうか? 森は女の子にとって危険な場所だから。代わりに女の子は牛乳を買いに行ったり、ドレスを届けたりと、親から課せられたおつかいに行き、つとめを果たして帰宅します。おつかいの中にも困難は待ち受けており、女の子たちも知恵や勇気を持って困難に対処し、成長します。ですが、男の子の冒険のように他者と出会うことはありません。

 灰島は<女の子は、どうやら他者と戦わずに母のいいつけにしたがうだけで成長することができるようだ。>と結び、さらに<女の子は最終的に『小さな母』に成長する。>と指摘します。

 灰島は、決して絵本の中で奮闘する女の子たちや、それを描いた作家。そして、愛してきた読者を否定しません。ですが、それが歴然として存在する性差の反映であることはもちろん意識しています。そして2008年作の『そのウサギはエミリー・ブラウンのっ!』(作:クレシッダ・コーウェル、絵:ニール・レイトン)や、2011年作の『ほげちゃん』(やぎたみこ)など、より女の子が活発で力強くなった現代の絵本においても「小さな母」への誘導は残っているとします。<こうした性差による変化を見守りつつ、どのような絵本が登場するか注目したい>と慎重に結ぶのです。

右向きは前向き、大きな足は地に足が着いた証拠など、絵本の演出技術

 また本書はテキストだけでなく、絵本の演出構造や作品が生まれた文化的背景などを細かく読み解いてくれます。

 イギリスの作家であるシャーリー・ヒューズの絵本を紹介する章では、絵本固有の演出方法や、イギリスと日本での親子関係のあり方の違いも説明されます。

 幼いお姉ちゃんのベラが弟のためにがんばる『ぼくのワンちゃん』(シャーリー・ヒューズ)。そして、同じくお姉ちゃんのあさえが妹のためにがんばる『いもうとのにゅういん』(林明子)の比較では、このような解説がなされます。

困っているベラもあさえも、左を向いていることに注目してください。横書きの絵本は右へ右へと進んでいきますから、右向きがポジティブの方向です。右側を向くということは、ポジティブの方向を向くことになるので、読者はポジティブな気持ちを受け取ります。(中略)これがめくるアートである絵本の基本構造です。

 これをふまえ、ベラとあさえが妹弟を助けてあげた場面では、お姉ちゃんはふたりとも右を向いていることが指摘されます。おかげで読者は前向きな印象を受け取るのですね。絵本の演出技術について知ることで、その作家の描かんとする世界もよりはっきりします。

 ところで『いもうとのにゅういん』では、お母さんがあさえをほめてあげる場面があります。しかし、『ぼくのワンちゃん』ではそういった承認の場面はなく、全体的に大人はあまり前に出て来ません。ここには、イギリスと日本では子供の社会的立場が異なっていることが反映されています。

 こうした文化的背景による絵本の変化についてじっくり語った「進化する赤ずきん」という章もとてもスリリングです。

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