国際陸連の方針は女性差別であり人種差別。「お前は女として認められるのか?」を問われ続けてきたキャスター・セメンヤ選手

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20090819_Caster_Semenya加工

 国際陸連(IAAF)が、テストステロンなどのアンドロゲンの値が高い(5ナノモル/リットル以上)女性選手について、一部の競技で出場資格を制限する規則を発表することを425日のロイターなどイギリスのメディアが報道しました。

陸上=セメンヤの強さ終止符か、国際陸連の新規則で

 これは、一般的には男性に多いテストステロン値が女性の「通常レベル」よりも高い女性選手は、他の女性選手に対して「不公平」なので、ホルモン抑制剤によってテストステロン値を女性の「通常」レベルまで下げる「治療」を受けなくてはならないとするものです。

 今回発表された規制は、南アフリカの女性選手、キャスター・セメンヤさんを巡る問題に関わってくるでしょう。まずはこのセメンヤさんについてお話したいと思います(男性ホルモン値の新制限、セメンヤが「標的」と物議醸す)。

「性別疑惑」というメディアによる陵辱

 2009年のベルリン世界陸上での金メダル獲得直後から、その体つきや顔形から、一方的に「性別疑惑」などという汚名を着せられたのは、彼女がまだ18歳の時でした。

 その後オーストラリアのゴシップ誌が「スクープ」として、「セメンヤは両性具有だった!」という記事を書き立てました。以降世界中のメディアもこぞって彼女について喧伝したのです

 彼女がこれまでに被った数々の困難と公然とした凌辱。彼女は一時、南アフリカの自殺予防センターに入らなくてはならないほどでした。詳しくはこちらをご覧ください。(ONE TRACK MINDS ―セメンヤとチャンド。そして公衆による詮索という暴力―(日本語訳))

 自分や自分の娘さんがセメンヤさんと同じ立場にたった場合を想像してみてください。18歳の子どもが、他人の勝手な侵害の許されない「性器」の話について、憶測や偏見に基づいて話をされるということを。「あいつは女性とは認められない」という悪意や、「男女以外の性別を認めるべき」という一見「善意」の意見(でもそれは彼女の望みなのでしょうか?)であれ、世界中の人々が自分の性別を疑うような話をしている光景を。

 彼女は世界中でさらし者にされたといっても過言ではないでしょう。後に彼女はこう言っています。

「自分の尊厳が傷つけられて怖かった。他人が私について考えることを、私には止められないという状況だった。私自身のことのはずなのに

 2009年の出来事以来、日本のメディアでは彼女についてかなり抑制をきかせた報道がされており、逆に世界での彼女についての議論が分かりにくくなっているかもしれません。日本では今でも彼女を「両性具有」という神話のような存在として扱ったり、「男女中間の性」といったような、彼女が疑われているDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックスの体の状態)に対する誤解や、DSDs以外の高アンドロゲン状態を呈している女性への偏見を基に、混乱した議論が続いています。

現在のポイント

 現在の世界での、キャスター・セメンヤさんについての議論は、憶測に基づいて、彼女の性別を世界中の人間がこぞって疑うといった非人間的な状況を反省したうえでの議論にはなっています。いくつか現在のポイントをまとめます。

・キャスター・セメンヤさんは女性です

 彼女もどこの公的機関も、彼女の身体については何も話していません。彼女は、「なぜ自分が女性競技から排除されねばならないのか?」と主張しています。

・DSDs(体の性のさまざまな発達)は、「男女の中間」ではありません。

 また、彼女が疑惑をかけられていたDSDs(性分化疾患/インターセックスの体の状態)は、性自認の問題ではなく、女性・男性それぞれの身体のバリエーションを表すもので、「男女の中間」「両性具有」というものではありません。

・アンドロゲン値など身体の構造を理由に「男女の分類」を問うのはむしろ人権侵害になります。

 アンドロゲン値が高い女性選手について、「男女以外の性別」「性自認の尊重」などを理由に、「ホルモン量の階級別にすればいい」など、 スポーツ競技で男女に分類する是非が議論されることがあります。それもまた、そういう女性選手やDSDsを持つ人々を擁護するという純粋な思いからのものだと思います。ですが大変残念ながら、そういう議論はむしろ害にさえなります。

 女性を顔貌や身体の作りで判断し、「女性に見えないけど本人が女性だと思っているので女性と認める」というのは暴力でしかありません。海外でもすでにそういった議論は後にしています。

・現在議論になっているのは「高アンドロゲン症」

 アンドロゲンは男性だけでなく女性にも普通に分泌されています。また女性の高アンドロゲン状態はクッシング症候群や多嚢胞性卵巣症候群(イギリスでは女性5人に1人の割合)など、DSDsに限らず、一般的な身体の女性でもみられるものです。それにもかかわらず、「アンドロゲンホルモンの血中濃度がスポーツ競技にどれほど影響されるのか」という議論がたびたび起こっています。

公平性の問題なのか?

 アンドロゲン値が高い女性に競技を許すのは、他の平均値の女性選手に対する「不公平」なのではないか? と思う人もいるでしょう。

 ですが果たしてこれは「公平性」の問題なのでしょうか? 欧米では最近、これをれっきとした「女性差別の問題」として取り上げています(そしてこの方向はセメンヤさんなど高アンドロゲンの女性選手を本当に支援するものです)。

 女性選手に対する高アンドロゲン規制と聞いて、皆さんはただの血液検査のようなものを想像するかもしれません。ですが違います。成績や「顔貌・体つきの見た目」で高アンドロゲンを疑われた女性選手には、具体的にはどのようなチェックがなされるのか、イギリスの新聞社ガーディアンが書いています。

「(女性の)アンドロゲン規制の基準スコア表は、1961年に英国の2人の医師が作ったシステムをベースにしている。現在この規制は保留されているが、[]以前はこの基準がIAAFの女性競技の規制のひとつとして用いられていたのだ。[…]この基準表の『多毛症』の項目には、身体の11の様々な部位の『スコアリング表』が、手書きのイラストと共に付いている。顔のひげを剃っているかどうか問う一連のチェック項目まである。どんな方法で剃ったか?何度ほど剃っているか?。『汗腺の臭い』の査定項目もある。」ガーディアン記事

 女性選手に対して他にどのような「身体検査」が行われるか、とてもではありませんがこの記事には書けません(詳しく書かれた記事『キャスター・セメンヤの話は公平性の話なんかじゃない』をリンクしておきますが、特にDSDs当事者家族の方には大変つらい描写が含まれていますのでご注意ください)。

  想像してみてください。IAAFの専任医師が、定規であなたのアンダーヘアの長さを測り、汗腺の臭いを測り、あなたのとても大切な身体の一部の長さを測っている場面を。それはあなたを気遣って、あなたの健康のために行われているのではありません。あなたの何の同意もなく、「お前は女として認められるのか?」、あなたの「高アンドロゲン症」によって、あなたの顔や体の見た目が、どれくらい「男性化」しているのか、どれだけ「男になっているか」を測定しているのです。

 これが女性の「公平性」を担保している場面とは到底思えません。

 IAAFは更なる発表で、多嚢胞性卵巣症候群などは競技からの排除の対象にはならないとしましたが、たとえアンドロゲン値が高いだけでも、体のどれだけの細胞がそれに反応するのかも調べなくてはならない。結局この一連の検査は「疑惑」をかけられ、高アンドロゲン症とみなされた女性には行われるわけです。

 そもそも、男性選手で記録を出した人が、一般男性の平均よりもアンドロゲン値が高いかどうか問われ排除されたことはありません。ある男性クロスカントリースキー選手は、生まれつき赤血球とヘモグロビンの数が多い遺伝子的体質でしたが、彼はむしろ「驚異的な身体の持ち主」として称賛されました。男性一般の「平均」よりもずっと高いだろう2メートル近い身長のウサイン・ボルトが、「不公平だから身長を低くする薬を飲むべきだ」と言われた例を僕は知りません。そもそもスポーツでメダルを取るような選手が、他の人とは違う類まれな身体を持っていても何の不思議もないでしょう。それに選手の記録は持って生まれた身体機能だけで決まるものでもないはずです。

 こういう男性選手はいつもむしろ称賛される一方、女性選手が速く走ると、なぜか「女性はこういう見た目、こういう程度の身体能力でなくてはならない」という規範・ステレオタイプが条件反射的に適用され、世界中の人々から疑いのまなざしを向けられ、「身体検査」と名付けられた処置を受けることになる。ここには明らかな女性差別があるわけです。

 スポーツコラムニストのケイト・ファーガンは、このような状況を的確な一言で述べています。

「キャスター・セメンヤは女性だって分かるわ。だってみんなして彼女の身体を自分のモノにしようとしてるから」

 また、女性選手の高アンドロゲン規制やセメンヤさんにまつわる問題には、人種差別的な側面もあります。日本に住む私たちには分かりにくいかもしれませんが、アパルトヘイトや黒人女性の「標本化」といった歴史も背景にあります。南アフリカ政府も、今回の規制復活に対して、かなり強い非難声明を出しています。南アフリカ出身のフェミニストの方が書いた記事が参考になりますので、ぜひ読んでください(「身体の分類。自由の否定」(日本語訳))。

うつろな合理性によるディストピア

 今回の規制をリードしたIAAF医学科学部門長の男性医師ベルモンは、この規制は女性の公平性を保つためのもので、「インターセックスの選手のための男女以外の第三のカテゴリー枠には私は賛成です。それは5年か10年以内に起きるかもしれない。でも社会の意識変化が必要です」とも言っています(ガーディアン記事)。

 これだけを読むと、彼はまるで「女性の公平性」や「性の多様性」を擁護する人に見えるかもしれません。最近の日本の調査では、青年期一般人口の約5%の人が自分を「男でも女でもない」と認識し、DSDsを持つ人々にも1.2%ほどそういう性自認を持つ人がいます(dsd-LIFE、2017)。そういう性自認を持つ人々で男女以外の枠での競技を求める人にはとても喜ばしいものでしょう。

 ですが、DSDsであるなしに限らず高アンドロゲンになっている女性に対する話は、全く逆の様相になります。

 女性選手が大きな努力をしてオリンピックの舞台に立ち、そこで速く走れば走るほど、顔や体付きが「男っぽい」と一方的に決めつけられるほど、「疑惑」をかけられ、高アンドロゲン症とみなされれれば、「本当に女だと認められるのか?」と先に述べたような「検査」を身体の隅々まで受け、身体の作りが 彼らの考える「女性だと認められるための基準」に外れていれば、「女性の公平性」のために、「アンドロゲンを抑制する薬をどうぞ飲んでください。そうすれば女性競技参加を認めてあげます。そうでなければ男女以外の枠を用意してあげますしょう」。現実にはそういう事になっているのです。

 ベルモンは、女性五輪選手1000人中7.1人がこの高アンドロゲン症に該当するとも言っています。つまりこれから、毎回それだけの人数の女性が 「お前は女性ではないので、男女以外の枠に行くように」という宣告を受けるわけです。

 これは僕の直観ですが、ベルモンはこれを皮肉や悪意で言っているわけではない。恐らく、彼はかなりフラットに、男女以外の枠を作ることがこういう女性選手のためになるものだと本気で思っているのでしょう。それが公平性と多様性の実現なのだと、合理的に善意で考えていてもおかしくないと僕は思っています。

 精神科医の内海健さんは、最近の社会の心的システムを「リアルなものの裏打ちを失った合理性」と呼んでいますが、ベルモンには、合理性や善意はあっても、リアルな人間だけが見えていないのかもしれません。それが女性に対してどういう思いをさせるのか、それがどういうことになるのか、自分が何をしているのかという見通しが全くつかない。DSDsをめぐる問題では、なぜかこういうことが頻繁に起きるのです。

東京オリンピックに向けて

 当然ですが、インターセックス人権支援団体も、セメンヤさんや高アンドロゲン状態の女性を、「治療」を受けなければ女性枠から排除し男女以外の枠に押し込めようとすることについて、非難の声明を出しています。

 僕はこれまで繰り返しセメンヤさんが受けた辱めについて書いてきました。正直なところこれ以上、このことを書くのにかなり辛い思いを感じています。ですが、東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本でも彼女が、「こうでなければ女性とは言えない」という女性の身体に対する狭量な規範から責められたり、一方通行な善意にさらされることもあるかもしれません。

 日本に住む私たちは、アパルトヘイトという大きな傷を受け、混沌の中からも「人間を本当に大切にするとはどういうことか? 本当の多様性とはどのようなものなのか?」を練磨してきた南アフリカという国に住む子どもたちの言葉に学ぶべきかもしれません。

「ネルソン・マンデラは人種差別と戦って、セメンヤはスポーツで女性差別と戦ったの。彼女は7年戦い続けた」Zahraさん(10歳)

「セメンヤは実は男だっていう人がいて、彼女は性別検査を受けさせられた。そんなのフェアじゃない。だって彼女は自分が何者かちゃんと知ってるもん」Ameerahさん(10歳)

(セメンヤはお手本になる?)「うーん、分かんない。彼女は走るのが好きなだけだろ?お手本になりたくないんじゃない?彼女は見世物じゃないもん」Ahmed君(10歳)

(ネクスDSDジャパン:ヨ・ヘイル)

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