自称セラピストに転身した親友から「毒親を愛せ、許せ」と詰め寄られた女性の苦悩

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 ナギさんによると友人S子さんも複雑な家庭事情を抱え、夫はいるものの実質上シングルマザーだったため、自分の悩みを解決したいところを入り口に、うまく乗せられセラピスト養成講座へと流れていった想像が浮かびました。

 そうしてはじまったS子さんとのやりとりのなかで、胎内記憶信者お得意の「子どもは親を幸せにするために生まれてきた」というゆるふわ説法がスタート。それは、幼いころから毒親に苦められてきたナギさんの怒りをあおり、傷ついた心をさらに痛めつけるものでしかありませんでした。

 身体的な虐待をはじめ、ネグレクト、暴言、過干渉など、毒親が生み出す歪んだ親子関係が子どもに深刻な心的外傷を負わせることは、今や広く知られていること。毒親が原因で鬱を発症したナギさんの場合は、暴力暴言とネグレクトが主な被害で、現在の主治医は「家庭内でいじめにあっていたようなもの」と表現したといいます。

姉妹格差のある家庭に育つ

ナギまず、私と妹の待遇の差がすごかったですね。私はいつも母からだらしない、臭い、ブスと暴言吐かれていたのに対し、妹はチヤホヤとかわいがられるプリンセス状態。たとえば小学校の卒業式。私は平服でしたが、妹は白のエナメル靴と真っ白なかわいいワンピースです。私は背が高く少し目立っていたからか、小学校入る前くらいから『色気づいて』なんて言われたりも。娘じゃなく、女として敵視されていたのでしょう。昭和という時代だったこともあるかもしれませんが、父はガツガツ殴る人でした。殴られて泣くと、母は『近所中があんたをキチガイだと思っている』と責めます。たぶん父に殴られて泣く、私の声がうるさいと言いたかったのだと思います」

 両親は不仲で、ナギさんが中学生のときに離婚。離婚前からそれぞれに不倫相手がいて、そのノロケ話を聞かされていたという仰天エピソードも。

ナギ母は夜遊びが大好きで、浮気相手とは行きつけの飲み屋で知り合ったと聞いています。『同じテーブルで一緒に飲もう』と声をかけられたそうで、それに対し『私はホステスじゃないわよ! と言ったら、も~う彼ってば私に夢中になっちゃって!』と、中学生の私にノロケるんですよ。母はそんな自分を、〈サザエさんみたいな明るいお母さん〉だと思っているのが、またすごいんですが」

放任主義という名の、ネグレクト

ナギさらに母の母である祖母も負けずに色ボケです。夏休みなど長期の休みになると私と妹は祖母の家へ行かされるんですけど、祖母は近所のおじいさんと同棲していたので、基本放置です。しかも住んでいないから家には何もなくて、食べられるものは味の素と塩くらい(笑)。そもそも料理をしない人なので、祖母の家でかろうじて口に入るものは、チャルメラかマルシンハンバーグです。母もまともに料理ができない人でしたね。でも、祖母の家では縁側でお茶している近所のおばあちゃんたちがかわいがってくれたのが楽しかったですし、ある程度親戚が面倒をみてくれましたが」

 自営業の父親は「うちはアメリカンスタイルで、放任主義! 自主性にまかせている」という都合のいい言葉を並べ、母親と一緒に育児放棄していたので、まったく頼りにならなかったそう。生活は常に困窮し、高校時代はアルバイト代もすべて親に回収され、親戚からもらったお年玉は某宗教の集会で強制的に献金させられたと言います。

ナギ結婚しているときは毎日死にたくて病院にも通っていましたが、当時は自分の苦しさがどこにあるかわからなかったんですよね。その後、別のカウンセリングに通うようになってから、私の生きにくさの根本は親だった、と知ることができました。今思うと、モラハラ気味だった元カレも元夫も、どちらも毒親育ち。生きにくい苦しさから歪んだことが理解できるので、恨む気持ちはありません」

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