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冨永愛が仕事を止め育児に専念していた三年間 仕事に逃げていた日々と家庭回帰を明かす

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冨永愛Instagramより

 モデルの冨永愛(35)が、514日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)にVTR出演し、201411月~昨年9月までの約3年間「息子のために」芸能活動を休業していたことを明かした。休業していたこと自体、知らなかったが、活動再開から半年以上が経過したこのタイミングでエピソードを明かすのも不思議。話の内容をよくよく聞いてみると、201411月以前の仕事のやり方では、ワークライフバランスなんて夢のまた夢、という状況だったようだ。

 冨永愛は、2004年にパリでパティシエをしている日本人男性と結婚、2005年に長男を出産、2008年に離婚。長男の親権は冨永が持った。『ノンストップ!』のインタビューで、どうして芸能活動を休んだのかを聞かれた冨永は、「子供の性格とかはやっぱりお母さんが一番わかっているものだと思うんですけど、自分が仕事を忙しくしていた時期に、ちょっとの時間でも息子と時間を持って遊んだり会話をしたりしていたんですけど、ふとした時に…わからないと思う瞬間があったんですよ。それがショックだったんですよ」「いってらっしゃい。おかえり。ご飯作ったりとか。当たり前のことをしないとだめになるという直感があった」と語った。

 長男との時間を取り戻すために休業した冨永は、長男とのたわいもない日常を大切に過ごし、長期休みには馬好きの長男のためにモンゴル旅行に出かけたり、さらに小学校のPTA役員を務めるなど専業主婦のお母さんのようなかたちで生活。学校行事に参加する時のファッションも以前は「ボロボロのジーンズ」などだったが、シンプルなセーターを購入。「お母さんになりたいと思って形から入りたかった」とのことで、冨永は「こういう自分もいるんだ」と自分自身の変化を楽しむ余裕も生まれていたようだ。そして昨年10月、長男の「お母さんそろそろ仕事しないとダメだね」という言葉もあって、冨永は芸能活動を再開。とはいえ今後も長男との時間は優先するつもりでいるし、長男は現在13歳と思春期だが「わりと話してくれる」「近い関係」だという。インタビューの最後、お子さんはどういう存在なのかを聞かれた冨永は「言葉にできないな……全てですかね」と答えていた。

 正直、『ノンストップ!』の視聴段階では腑に落ちないものがあった。子供の性格がわからない瞬間があってショックだったと冨永は言うけれども、乳児期ならいざ知らず、学校に通う子供について母親が「わからない」部分が出てくるのはある意味当然ではないだろうか。むしろ子供のことが全部わかると本気で思っている親のほうが、のちのち親子間の確執に発展しそうだと常々思っている。仕事を休業して小学生の子供と「一緒に」いるという選択を否定する気はないが、しかしなぜそこまでしようと思ったのかが見えてこなかった。

 だが、冨永が休業直前の201410月、彼女と親交がある長渕剛プロデュースで出版した著書Ai 愛なんて 大っ嫌い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読むと、多少なりとも彼女たちの事情が見えてきた。同書は冨永の半生を綴ったいわゆる自伝本で、長男誕生後の生活についても書かれている。

<出産後半年で、ランウェイに戻り、ニューヨーク、パリ、ミラノと妊娠前と同じように世界を回り、より上に駆け上がろうと奮闘するわたしに、彼(元夫)は子どもとともに付き添い、支えてくれた。>

<二歳のときは、ほとんど保育園。三歳、四歳、五歳のときは、(神奈川県の)橋本の実家。いちばん息子のそばにいてあげなきゃいけないときに、わたしは芸能界の仕事を毎日のようにやっていた。海外コレクションの仕事からは引退したけれど、帰国後も、働かなくてはならなかった。しつけや教育、そして何より、母のぬくもり、愛情というものを、二歳から五歳まで、ほとんど息子に与えてあげることができなかった。不安だった。母親であることに加えて、この子の将来にかかる養育費を稼ぐこと――大黒柱の父親の役も、やらなきゃならない……。不安で不安でしかたなかった。>

<だから、休む暇もないくらい、仕事を入れていった。それによって息子との時間が減っていることはわかっていた。でも、仕事を入れた。そうしていないと、不安だった。そうやって、忙しい日々を毎日繰り返し繰り返し送っているうちに、次第に、感覚がマヒしていった。それが当たり前になっていった。大切な息子の目の高さにしゃがむことを完全に忘れてしまったのだ。>

 離婚を通じ、メンタル面での疲弊も大きかっただろう。父親不在の母親としてプレッシャーもあっただろう。彼女は仕事に“逃げて”しまっていた。そして9歳になった長男はある日、傘を捨ててずぶ濡れで帰宅し、冨永を睨み付け泣き叫んだという。

<「もういやだ! 寺子屋に行くのも、カギを首から下げるのも、ばあばんちに行くのも、千駄ヶ谷のお母さんの友だちんちに行くのも…もう…、もう、いやだぁ!!」「お母さんは、ぼくのことなんてどうでもいいんだ。」>

 さらにその後、長男は大人びた声で<「……ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」>とも言った。自分が生まれてこないほうがお母さんは幸せだった、というのである。長男を愛していないわけではもちろんなかった冨永にとって、そして息子にとっても、これほどショックなこともあるまい。

 長男が25歳の頃について、しつけや教育、母のぬくもり、愛情をほとんど与えてあげることができなかったとあるものの、長男が実際にどのような暮らしをしていたのか具体的なことまでは書かれていない。また9歳になった長男に「もういやだ!」と訴えられる以前の親子関係についてわかる記述も見当たらない。しかし同書の記述を見る限り、長男を出産後半年で仕事復帰した冨永は、その後、仕事中心のスケジュールを組まざるを得ず、長男と過ごす時間は極めて短かったようだ。長男の食事、歯磨きや入浴や着替えといった身支度、寝かしつけ、保育園であれば送り迎え、小学校であれば宿題や時間割、年齢に見合ったしつけなど、冨永はほとんど実家に任せざるを得ず、自分自身で手をかけられなかったことに『母親なのに』と強い罪悪感を抱いたのだろうか。

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中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

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