5月11日 カリフォルニア州
コーヒーショップにて、注文の列に並んでいた若いイスラム教徒の女性(全身を覆い、目だけをだすニカブを着用)に対し、白人男性が口頭でハラスメント。以下は会話の要約。
女性「なぜ、そんなことを言うのですか?」「私がイスラム教徒だと知っていますか?」
男性「(顔をしかめて)嫌いなんだよ。これでどうだ?」「おまえに殺されたくないんだよ」
女性「キリスト教徒ですか?ならば聖書について話しましょう」
男性はキリスト教を持ち出された時点で会話を終わらせようとする。
●店の奥にいた他の男性客が「出て行け、ファック・ユー!レイシストめ!」と叫ぶ。
●店長が、男性は「公共の場を乱し、とてもレイシスト」として、注文を拒否。
5月14日 エルサレム
米国大統領のトランプは、エルサレムをイスラエルの首都であるとし、在イスラエル米国大使館をイスラエル最大の都市テルアビブからエルサレムに移転した。14日の新大使館開館記念式典には大統領上級顧問で、娘イヴァンカの夫であるジャレッド・クシュナーと、イヴァンカが出席。クシュナーはユダヤ系アメリカ人であり、結婚に伴いイヴァンカもユダヤ教に改宗している。2人がスピーチをおこなっている間、ガザでは大規模な抗議運動と、それに対するイスラエル側の攻撃があり、パレスチナ人の死者50人(5/15現在)、負傷者2,700人以上となっている。
●2月に移転が発表された時点で米国主導の中東平和が遠のくこと、および移転に反対するパレスチナとイスラエルの間で衝突が起こることは予測されていたが、トランプ政権は移転を強行。
「弱者」を切り捨てる「強者」
14件もの事件の羅列。読んでいて疲れ、呆れたことと思うが、これらはSNSかメディアが報じ、筆者の目に止まった事件のみである。全米で同様の事件がどれほど起こっているのか、想像もできない。
トランプ政権の外交政策とショッピング・モールでの10代の少年や運転中のシニアの問題には一見、なんの繋がりもないが、根は同じだ。「弱者は品行方正に、静かに、腰を低くしていろ」、さもなくば「強者はなにをしても許される」である。
スターバックスで注文をしない、交通違反を犯した、バーベキューの場所を間違えた、モールで騒いだ、高圧的な店員と口論した、大学見学にメタル・バンドのシャツを着た、無愛想……被害者側のこうした行動を「間違っている」と判断する人もいるかもしれない。しかし、こうした行動は誰もが日常生活で取り得る範囲だ。
その程度の行動によって警察を呼ばれ、一歩間違えれば命にもかかわる暴力を受けてしまう。警官と一般市民が対峙する際、警官は「強者」であり、市民は「弱者」だ。アメリカではとくに黒人市民が無実の罪で警官に暴行を加えられ、射殺される事件が多発している。そのため、黒人は警官を非常に警戒する。65歳の黒人女性が「上官を呼んでほしい」と懇願したのはそれが理由だ。女性は「パトカーの青いライトが信用できない」「パニックに陥った」とも語っている。また、過去にこうした事件が相次いでいるからこそ、「もう黙っていられない」と、記者会見、テレビ出演、訴訟によって事態を是正しようとする被害者も出る。
コーヒーショップでの件は一般市民同士だが、白人男性は自分が「アメリカ人」「白人」「男性」「キリスト教徒」、かつ被害者のムスリム女性よりもかなりの長身であることなどから、自分が「強者」であると考えている。女性の英語に訛りがなく、おそらくアメリカ生まれであろうことはまったく気にかけていない。ゆえに白昼のコーヒーショップで堂々と「弱者」への差別行動に出たのである。ただし、クリスチャンといっても教義には疎く、ムスリム女性からの宗教議論に尻尾を巻き、加えて思いもよらなかった他の客や店長からの攻撃にすごすごと退散している。
マケイン議員はベトナム戦争時に敵兵に捕らえられ、5年間もの捕虜生活を生き延び、「アメリカの英雄」と呼ばれる人物だ。議員が健康で議会に出ている時であれば、同じ共和党の若いホワイトハウス職員が揶揄できる相手では到底ない。ところがトランプに反意を唱え、かつ重篤な病床にあるとなるや「弱者」と捉え、トランプに属する自分を怖い者なしの「強者」と思い、「どうせ死にかかっている」となる。
トランプの大使館移転が大量の死者を招くことは分かり切っていた。まともな知識のある人間であれば政治家でなくとも予測したことだった。それでもトランプは実行した。自分自身とアメリカ、アメリカが支援するイスラエルを「強者」、相対するパレスチナを「弱者」と捉え、弱者の命にはなんの価値も認めていないのである。式典に出席したクシュナーとイヴァンカも同様である。
アメリカの自浄努力
本来、警官は強者ではなく、市民の生活を助ける者だ。アメリカ人が米国内では自国民として優位な立場にあるのは当然だが、「アメリカ人」の定義を考えてみる必要がある。移民も米国籍を取ればアメリカ人となり、そもそも移民はアメリカの活力源だ。米国は大国だが、他国を弱者として扱うべきではなく、まして他国民の命を軽んじていいわけでは決してない。
アメリカ人は「勝者 winner」「敗者 loser」という言葉を多用する。「強者」「弱者」と同義語だ。この言葉を使う者はものごとを2つに分け、誰もがどちらか一方に属すると考える。中間や、場合によっては同一人物がどちらにも属するとは考えない。つまりものごとの多様性をみることができない単純思考だ。この単純さが、実は非常に危険なのである。アメリカに限らず、現在の日本でもよくみられる傾向ではあるが。
アメリカには希望もある。上記の各事件の解説の巻末を見てほしい。なんらかの解決策、改善策が取られている、もしくは取ろうとする努力がみられる。まったくないものもあれば、解決策は建前だけ、逆に行き過ぎていると思われるものもある。それでも、人々は試みる。残念なことに、改善策を検討する気がまるでないのは、ホワイトハウスなのである。
(堂本かおる)
追記:こうした事件が相次いで報道されたためか、公正な判断を下す警官も出現。ミズーリ州にて空家のチェックに訪れた不動産投資家の黒人男性(マイケル・ヘイズ)に対し、近隣住人の白人女性が「ファック、何してるんだ!」と叫んで通報。駆け付けた警官は文句を言い続ける女性に「留置所に入れるぞ」と告げ、黒人男性と笑顔で記念撮影。
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