
トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた
これはすごい、という記事が出た。毎日新聞による『LGBT「知識不足」 課題を指摘』という2018年5月16日付の記事だ。新聞やテレビ、ネットメディアなどの取材を受けた経験のある当事者へのアンケートを元にした記事で、回答者の66%が「記者が勉強不足だと感じた」ときびしく指摘。自由記述欄にもメディアへのリクエストがてんこ盛りとなっている。
すごいと思ったのは、耳が痛いであろう内容をきちんとアンケートして公表できる記者たちがいたことだ。昔からLGBTをめぐるまずい報道はあった。10年ほど前だが、私はビジネス誌面上で「性同一性障害の女子大生」になってしまったし、当時もトランス女性の知り合いは「女性らしく料理をしている絵」をテレビカメラが取りたがるのに辟易していた。
近年ではLGBTを取り上げる記者が急増しているために、問題はさらに見えやすくなっている。「誰にインタビューに行ったら良いのか分からない」「当事者が言った通りに書いたら間違っていた」。そんな声も記者からは聞く。さらに社内でもばらつきがある。今回のアンケートは、毎日新聞の有志が主催するLGBT報道に関する勉強会の一環として行われ、私も講師として招かれる機会があったのだが、記者の側も迷うことが多いのだろうと考えさせられた。
今週開かれた有志勉強会では、前述のアンケート結果に加えて、実際の「珍プレー」記事などを用いたディスカッションを行った。よく問題視される取材のパターンには、例えば下記のものがある。
⑴ 性自認を尊重しない編
性自認が男性であるのに「性同一性障害の女性」、あるいは性自認が女性なのに「彼」などと書き続ける例。事件報道などで名前の代わりに女性や男性と連呼されることがある。
⑵ ストーリー押し付け編
「小さい頃はお人形遊びが嫌いで、スカートが嫌いで、男の子の友達が多かったんですよ、ね?」
⑶アウティング編
同性間DVなどで殺されると被害者の名前と容疑者の名前がともに新聞に載る。ただし同性間DVが存在すること自体は報じる社会的意義があると思われる。
⑷なんにでもLGBTを注ぐ編
LGBT男性、LGBTトイレ、LGBT向けのスーツなど、ゲイやトランスジェンダーと書けばいいのにLGBTですべてを括った結果「ゲイ向けのスーツが必要なの?!」といった誤解を招く。
他にも、無断で当事者の写真をあげてしまったり、社内でタイトルをいじっているうちにレズビアンがレズになってしまったり……いろんなレベルでの問題が共有された。ただ、難しいのは、必ずしも「だったらこうすればいい」という一つの正解が見つかるものばかりでもないということだ。
例えば、記者がストーリーを押し付けなくたって、当事者の語りは新たな規範になることもある。私もメディア監修に関わる仕事をしているが、例えば異性愛のトランス男性が若い頃に「試しに男性と付き合ったけどキモかった」と語るインタビューなどは、やっぱりそのまま流せないよなあと思ってしまう。このような語りが溢れてしまえば、トランス男性でゲイの人は、ますます自分が男が好きだということが言えなくなってしまうからだ。私自身、子どもの頃はサッカーが好きでスカートが嫌いだったが、そのこともきちんと語ろうとすれば注釈まみれになってしまう。セーラームーンが好きな男の子がいてもいいではないか。
用語の説明方法だって難しい。限られた紙面でトランスジェンダーはどのように説明すれば良いだろう。もしそれが小学生新聞だったら? こうやって考えると、メディアの果たす役割の大きさの反面、そもそも字数が限られていることの大変さにも気づく。
今回アンケートを実施した記者に尋ねたところ、取材を受けた人への調査という試みはほとんど前例のない取り組みとのことだった。メディアが差別や多様性の問題をどう報じているのか、という意味では、ジェンダーや障害、犯罪報道などでもひょっとしたら同様のアンケートは有益かもしれない。「迷わなくなったら辞めた方がええ」というのは大学時代に獣医の倫理について教授が語っていた言葉だったけれど、どこが迷うべきポイントなのかを知ることが、多様性について学ぶ第一歩なのだろう。