今回は、新たに注目していきたい池川医師の主張があります。そのキーワードは〈語ること〉を意味する言葉、〈ナラティブ〉。
池川医師曰く、「これからの産科医療においてはエビデンスがすべてではなく意識改革が必要であり、次世代の分娩・育児のあり方の参考にするべきは『ナラティブで主観的な社会的物語に基づく診断・治療(Narative Based Medicine:NBM)』という考えが重要」だと言うのです。『胎内記憶 命の起源にトラウマが潜んでいる』(角川SSC新書)では、こう語られています。
・医療は、多種多様な人間を扱うため、一定の条件ではこうだ、と述べることはできても、あらゆる状況ですべての人間に当てはまる「正しい方法」があるわけではない。
・医療においては、数値化されずエビデンスも伴わないが存在すると推定できる、「ナラティブ(Narative)で主観的な社会的物語」が重要な役目を果たす。
・医療の現場では、これを「客観的な科学的根拠に基づく診断・治療(EBM)に対して「ナラティブで主観的な社会的物語に基づく診断・治療」と呼んでいます。子どもたちの語る「出生前後の記憶」は、まさにこのナラティブで主観的な社会的物語」に相当する!
それっぽく語られると、一瞬「今の時代は、これが新しいのか?」なんて錯覚しそうですが、この点に対しても、太田医師、松本医師ともにバッサリ否定。
松本「ナラティブ(Narative Based Medicine:NBM)というのは、たとえばその人が前に進むために、病気を持ったのはこういう意味があって必要だったなど、納得したりするそれですよね。でもそれはあくまで、特定の個人にだけ意味を持つ主観的な物語です。個々の話をアンケートにまとめ、これが真実ですというような一般論で話すようなものでは決してありません」
医療としてありえない
松本「さらに親を選んで生まれてきたと言う説を採用すると、不幸も自己選択になりますし、難しい病気なども事前決定されている運命論みたいな感じになってしまう。〈運命〉という言葉に一本化されると、貧困や格差、福祉サービスの至らなさなどの問題が、全部覆い隠されてしまいます。また、この物語が『子どもたちにどう聞こえるのか』という点も気になりますね。胎内記憶は大人たちが用意した大人目線の物語で、大人に都合のいいように作られているように思えます。ナラティブベースドメディスンと言いながら、実は自分のナラティブを子どもに押しつけている。それはただの暴力です」
産婦人科医の立場からは「エビデンスが全てではないということ」は共感できる部分もあるといいます。
太田「産婦人科という領域は実験できないものが多いため、どちらかと言えばエビデンスに弱いジャンルであるのは確かです。ですから案外、意味がないとわかっていても、おまじない的なことをやることもあるんですよ。しかし、ナラティブベースドメディスンは、ある程度エビデンスがあるものを土台にして、さらにそこから補完するためのもの。それなのに、主観的に語られる部分〈だけ〉をクローズアップして……というのは、医療としてありえないし、そもそもきりがない。それはもはやナラティブベースドメディスンではありません」
胎内記憶を広める危険性
池川医師は、胎内記憶を広めるメリットを「マタニティ期から母子の絆を深めることができる」「母子関係にとって健やかなスタートとなれば、その後の育児困難も軽減される」と謳っていますが、そもそも今の日本で、本当に母親たちを救いたいのであれば、保育園や就労環境など、公共政策の改善が山とあるハズ。「子どもが見ているから正しい親でなくてはならない」「子どもに選ばれたのだから、がんばろう」という精神論だけの励ましが本当に子育てに役立つと考えているのであれば、今の日本の育児現場をまったく理解していないうえに、もはや自分のファンタジー世界で暮らす、俗世とは別の時間を生きている存在と解釈するほかないでしょう。
「胎内記憶」にまつわるエピソードは、一見ハートウォーミングであり、ダイレクトな健康被害には結びつきにくいため、カジュアルなノリで拡散されがち。しかし改めて提唱者の主張を整理してみても、やはり都市伝説レベルのうさんくささしかありません。
虐待、障害、流産などには触れないライトなノリの記事であっても、拡散に加担すれば子どもたちを傷つけるお説の流布にもひと役買うことは間違いなし。シェアしたり、ましてや前回の記事「自称セラピストに転身した親友から『毒親を愛せ、許せ』と詰め寄られた女性の苦悩」で紹介したナギさんの友人のように〈セラピストもどき〉がそれを安易に押しつければ、傷ついた人たちへの直接的な暴力です。しかも〈世の親子のために、いいことをしてあげている〉という、自己満足に包まれているのですから、タチの悪さは横綱級。
さて育児情報を発信する関係者のみなさま~、これでも胎内記憶を広めますか?
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