政治・社会

『万引き家族』是枝裕和監督が描いてきた「見えない家族」とナショナリズムへの問題意識

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 68日より全国およそ200館で上映予定の映画『万引き家族』(是枝裕和監督)が、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを獲得した。同映画祭で日本作品がパルムドールを獲得するのは21年ぶりの快挙である。

 『万引き家族』のあらすじはこうだ。樹木希林が演じる老女・初枝の年金と、万引きによって生計を立てている5人家族の柴田家。父・治(リリー・フランキー)は日雇い仕事、治の妻・信代(安藤サクラ)はクリーニング店、信代の妹・亜紀(松岡茉優)は風俗店でそれぞれ働いてもいるようなのだが、ケガやリストラなどもあり、治と信代の息子・祥太(城桧吏)を含め彼らにとって万引きは重要な生きる手段だ。近所の団地の被虐待児童・ゆり(佐々木みゆ)を引き取り、貧しいながらも楽しく暮らす柴田家だが、ある事件が彼らをバラバラにする――。

 巣鴨子供置き去り事件をモチーフにした『誰も知らない』(2004)、新生児の取り違えが判明した後の家族を描いた『そして父になる』(2013)、吉田秋生の同名漫画を実写化した『海街diary』(2015)、団地に集まった元家族を描いた『海よりもまだ深く』(2016)など、是枝裕和監督の作品には「家族」を題材としたものが多い。まもなく公開される『万引き家族』も「犯罪でつながった疑似家族」の物語であり、是枝監督がこれまで考え続けてきたことを全部込めた作品になっているという。

 筆者はこれまで、是枝作品のある家族の生活に密着したような物語には、結果的に「家族」たる共同体を肯定しているようだと感じていた。しかしそうではなかったし、そういうことでもあった。是枝監督は、家族という非常に小さな共同体を、ありがちな感動秘話としてまとめ、賛美するようなるやり方はしてこなかった。むしろ、家庭という閉ざされた空間にならざるを得ない見えない場所での出来事を、切実に描いてきたのではないか。

 是枝監督はカンヌで、韓国の大手新聞・中央日報のインタビューに応え、この貧困家族のドラマを描いた動機を語っている。まず日本で年金の不正受給事件が厳しく糾弾されたことについて<人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか>を深く考えたことが契機としてあったという是枝監督は、日本では経済不況による人々の“格差化”が進行していることに触れ<政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ>と、セーフティネットが手薄でなんでも自己責任とされてしまう社会状況に言及している。そして日本国内で台頭する歴史修正主義にも次のように警鐘を鳴らした。

<共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている>

 もちろん字数に限りのあるインタビューで一言一句すべて是枝監督の発言そのままだとは限らない。しかし是枝監督は、昨年発売の『文藝別冊 総特集是枝裕和 またここから始まる』(河出書房新社)でもやはり、政治、政権に触れている。同書に収録された「週刊金曜日」2016513日号(株式会社金曜日)初出の武田砂鉄氏によるインタビューで、安倍政権の「伝統的家族観」について思うところはあるかと聞かれた是枝監督は、<(伝統的家族観という)その考え方自体、肯定・否定のいずれかに決めつけるつもりはありません。しかし公権力がこういう家族観を目指すべきとするのは実におこがましいことです>と語る。自民党の憲法改正草案の24条「家族は、お互いに助け合わなければならない」についても<そもそも憲法とは、国家の、国民に対する約束であるはず。(中略)なぜそこに、私たちの義務が書かれなければならないのか>と異議を唱え、今回のカンヌでのインタビューと近い次の言葉を残している。

<企業共同体も地域共同体も家族共同体も壊れかけている。何かによりかかって生きたいと思ったときに、ナショナリズムは最も安易です。しかし、それしか提示できないのは政治の貧困です>

 同じく『文藝別冊~』収録の、「感動よりも思考を」と題した『世界』199911月号(岩波書店)初出のエッセイで、是枝監督は、オウム真理教の報道を例に挙げ、当事者意識の欠如した映像メディアが視聴者の<知ではなく情>に働きかけることで、<ヒステリックな感情的リアクション>、つまりオウム真理教への怒りを噴出するように機能していることを<その行為が生み出すのはもはや怒りの連鎖でしかない>と綴っている。確かにそこには、不安を煽られ、信者たちに恐怖と怒りを向け、総括と謝罪を迫る視聴者たちの感情が渦巻いていた。こうした映像メディアのありかたを是枝監督は追及し、ここでも歴史修正主義に触れている。

<しかし、では彼らに自らの行為の総括を迫る私たちは日の丸、君が代が果して来た役割をどんな形で総括したのだろうか? 謝罪は終ったのだろうか? 「侵略戦争はなかった」という類の言説が声高に主張されるようになった現状の中で、果して日本人が五〇年前に犯した行為をどれ程の人が当事者意識を持って考えているだろうか?>

 是枝監督が描いてきた家族は、ほっこり・感動・号泣……といった気持ちよくなめらかに消費可能な物語とは対極にある。愛や絆でスルッと解決して幸せになどなれない。思いやりも助け合いも大切なことだが、それだけで人は生きていけないのだ。ナショナリズムをよりどころに、失敗を自己責任に回収し続ければ、ますます日本社会は生きづらい場所になってしまうだろう。

 パルムドール受賞により『万引き家族』の上映は賑わうことが予想される。是枝監督が作品に込めた問題意識を、しっかり受け止め、共有したい。

中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

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