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閉塞感と空騒ぎの90年代に思春期を過ごした、僕らと彼らの物語 『愛と呪い』ふみふみこ×浅野いにお対談

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(写真/広瀬達郎)

あの頃、私たちはひとりぼっちだった

 ふみふみこの漫画単行本『愛と呪い』第一巻(新潮社)が6月9日に刊行された。舞台は90年代、関西地方のとある町。新興宗教を信仰する家庭に育ち、同じ宗教を信じる家庭の子供たちが通う学校で生活する少女・愛子は、父親から性的虐待を受けていたが、家族はそれを知りながら笑っていた。

 阪神淡路大震災、オウム真理教、酒鬼薔薇事件……世紀末に向かう狂騒の中、愛子はもがいていた。この半自伝的90年代クロニクルを描くふみふみこさんは1982年生まれ。1980年代生まれで同時期に思春期を過ごした漫画家の浅野いにおさんと、「あの頃」そして「今」を語り合った。

「家族は仲良くなければいけない」という気持ちもあったんです(ふみ)

——『愛と呪い』は性的虐待や宗教など、家族をめぐる衝撃的なテーマが「半自伝」として描かれています。

ふみ 以前から「漫画家になったら絶対に描きたい」と思っていたテーマではありました。ただ自分にそれを描くだけの力がなくて、『ぼくらのへんたい』を終えたところで、やっとそれができるかもって。

浅野 ふみさんは作品ごとに絵柄もちょっとずつ変わるし、けっこう振り幅が大きいという印象はありましたけど、今回はまた全然ギアが違いますよね。「半自伝」って言ったら「作品の評価=自分の評価」になってしまう部分がどうしても避けられないと思うけど、そういう覚悟ができたんだなと思いました。

ふみ 私自身が自立して、昔の自分から解放されてきたっていうのも大きいです。上京したのがわりと遅めで、27、8歳の頃なんです。そこから漫画家として食べられるようになって、自分の面倒を一人で見られるようになって……。

浅野 それはここ数年の話ですか?

ふみ そうですね、ようやく最近。これは今後の『愛と呪い』で描いていくつもりなんですが、家族から「逃げたい」という気持ちと同じくらい強く、「家族は仲良くなければいけない」という気持ちもあったんです。「良い娘であらねば」という意識には、すごく縛られていたと思います。だけど一人になったときに「全部自分で決めていいんだ」って気づくことが増えてきて。

でもこれだけ色々問題があった家族なのに、距離ができると向こうは寂しいらしくて変な感じです。別に今からわざわざ仲を悪くするつもりはないですけど、「寂しいのはあなたの責任だから」みたいには、ようやく言えるようになりました。

浅野 逆に、それへの不安とかはないですか。

ふみ ありますよ! 自立し続けることがめちゃくちゃ不安だから、焦って色々やろうとして失敗するみたいなことにもなるんですけど。でも、「あの頃よりマシ」みたいな感じです。

浅野 僕の実家は本当にさして特徴のない家族で、あんまり好きも嫌いもないんですけど……。ただ、僕は中学生くらいまではすごく優秀な子だったんですよ、学級委員やるみたいな。そういう演技、「良い子供」みたいなやつを完璧にやっていた。父親は忙しくてあまり家にいなかったりもして、すごい「家族ごっこ」感がありました。全員が全員の役割をやってるみたいな感じで。だから、大学で上京したらけっこうさらっと地元を切り離しちゃった気がします。

ただ、クラスの不登校の子にちょっと勉強教えてあげたりとかそういう役回りが割と多くて、すごい上からみたいな嫌な感覚だけど、人に頼られることでようやく自尊心が満たされるところがあったな。

ふみ あのメガネの子みたいな感じですかね、プンプンの。

浅野 『おやすみプンプン』には、愛子ちゃんが不幸だからプンプンが盛り上がるような側面はありますね……。ああ、こんなだから「お前は挫折も知らないで」なんて家族に言われたりするんだ。

ふみ 実際、成功なさってるんだから仕方ないです。

浅野 目標はもう少し高かったんです(笑)。とにかく、僕や僕の周りの青年誌の人たちはディテール主義、リアリティ至上主義みたいな漫画の作り方をするんですね。登場人物の性格なんかに漠然としたモデルはいるんですけど、ディテールは全部創作。そこをどれだけ固められるかというのがあって。

だから今回、『愛と呪い』を読んでいて一番怖かったのは、性的虐待する父親を見ながら母親がずっと笑っている場面なんですよ。家庭内のシーンで父親の性的虐待っていうのは、ある程度はイメージできるんです。でも、お父さんだけがおかしいんじゃなくて、家族もおかしいっていうのは、僕には想像できない部分だった。こういう、ふみさんにしか分からないディテールが入ってるから、この話はすごい説得力がありました。

ふみ ありがとうございます。実はいまyom yom連載で描き進めている第二巻の方には、高校生になった愛子が付き合うクズ男が出てくるんです。まさに浅野さんが仰った「人に頼られることで自尊心が満たされる」奴です。

メンヘラ女が好きな男っているじゃないですか。病んでる女は全力で自分に向き合ってくれるから、それが嬉しいみたいな。もちろん浅野さんのことじゃないですよ(笑)。男にも女にも、親にも子にも、夫にも妻にも、誰にだってそういう心理があるのだろうと思います。

東京のはずれで抱いた「たったひとり」感が忘れられない(浅野)

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(写真/広瀬達郎)

——ふみさんは酒鬼薔薇聖斗、つまり「少年A」と同じ1982年生まれで、浅野さんは80年生まれです。同世代のお二人にとって、一巻の舞台となった90年代はどのような時代でしたか。

ふみ 90年代後半には酒鬼薔薇だけでなく、阪神淡路大震災や地下鉄サリンなど悲惨な事件が色々と起こっていたし、世紀末ということもあって世の中全体が終わりの予感に囚われていましたよね。いま考えるとぜんぜん論理的な話じゃないけど、大きな事件が続きましたから。

この作品を描いてみて、思春期の自分が家庭内で感じていた息苦しさと、あの時代特有の閉塞感はシンクロしていたんだと改めて気づきました。成長過程でこういうことが起こってたらそりゃ暗くなるよな、って。

浅野 酒鬼薔薇事件の97年とかになると、僕は高校生で、ふみさんは中学生。当時ってコギャルブームど真ん中だったでしょう。だから的な雰囲気もあって。

ブームの中心が高校生だったので、反作用というか、それに乗っかれない若者たちっていうのはとにかく居場所がなかった。まあ、当時のコギャルだって「女子高生」という狭い価値の中に自分を無理矢理当てはめていただけなのかもしれませんけど。

ふみ パソコン通信やってる人でもなければ、ネットで仲間探しもできなかったですからね。

浅野 いまみたいなSNSもないし、地方にいっちゃうと本当に文化がない。何もないけど、行き詰まりの中で疎外されている感じだけはある。それが根っこに残ってるから、2000年代に20代になった自分が漫画を描いていても、そのままずっと同じ思考を続けていたわけです。「何もねえな」って。

そうしたら編集の人に「ぐるぐる悩んでるだけのキャラクターじゃダメ、嘘でもいいから一歩踏み出せ」って言われたんです。連作の『素晴らしい世界』が最初の単行本なんですけど、あれオチは全部編集のアイディアで。大人たちのニーズには合っていたのかもしれないけど、正直、当時の自分たちに「一歩踏み出す」みたいな感覚ってリアリティなかったんじゃないかと思うんですよね。

ふみ その閉塞感は2010年代になった今でも残っていますか?

浅野 根本の部分は変わらないですね。僕が話をしてて噛み合う人って、同世代が多いんですけど、その特徴って何なんだろうってずっと考えていて。やっぱり暗いんですよね、みんな。

ふみ わかります!

浅野 それが感じられると、すごく信頼できる(笑)。

ふみ 30歳アンダーくらいの世代から、急にみんな明るく振る舞うようになるじゃないですか。年下の漫画家の子によると、「最初から絶望してるから」なんだって。将来の夢もなければ給料も低くて当たり前で、この先状況がよくなるなんて想像もしてない。自分の漫画も売れるなんて最初から思ってないし、挑戦はするけど無理だったらスーパーで働けばいいや、くらいに思っている。現実をすごく見てるんですよね。

浅野 なるほど。

ふみ 私とかは漫画って超売れるものだと思ってた世代だし、夢も未来もあったはずなのになぜなくなっちゃったの、みたいな状況だから暗くなるのが現状なんですけど。その子たちは、たとえば「いかに目の前の萌えを全力で消費するか」に疑いがないというか。

浅野 疑いなく突き進めるってことですよね。

ふみ 決定的に違うからこそ憧れます。「暗いネアカ」というべきかもしれませんが。

浅野 2000年代にオタク文化が世の中にすごく浸透して、今ってもう「みんなが何かのファン」みたいな状態じゃないですか。なんだか楽しそうだし、僕はいいことだとは思ってますけど。

ふみ 漫画の業界でも後追いっていうか、これがウケるからというのが増えていって。新人だったら、そうじゃなければ企画自体が通らないです。

浅野 別に乗っかってもいいじゃん、みんなが面白いって言ってるからいいじゃん、ってなったのもここ10年くらいの話なんで。

ふみ 「誰もが誰かの好きなものにアクセスできる」という、ネットの影響力も大きいですよね。

浅野 ネットが10代のときにあったらどうだったかな……。僕が大学進学で上京したときって、携帯電話ですらギリギリみんな持ち始めた、くらいの時期だったんですよ。引っ越してきて、東京のはずれで抱いたあの「たったひとり」感が本当に忘れられない。そういう完璧な孤独みたいなものが今なくなってるんですよね。

ふみ もはや貴重な経験です。

浅野 だから「自分らしさ」とか「自分であること」みたいなものにいちいち引っかかるのは、たぶん僕らくらいの世代で一回終わってるだろうな、と思いますね。

でも、やっぱりネットのなかった時代と今を比較すると、絶対今の方がいいですよ。『ぼくらのへんたい』の登場人物たちだって、周囲に理解されない事情を抱えつつも、ネットがあったからああして出会えたわけだし。

ふみ そうか。ネット特有のつらい部分もあるけど、たしかに他者とつながってるっていうのはありますもんね。

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餅井アンナ

1993年生まれ。ライター。食と性、ジェンダー、生きづらさについての文章を中心に書いています。wezzyでは連載「妄想食堂」などを執筆中。マガジンtb(タバブックス)にて心身の防御力低めな往復書簡連載『へんしん不要』も。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

twitter:@shokuniinsuru

http://shokuniinsuru.tumblr.com/

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