同性愛ゆえタブー視されたミュージカル作品が、普遍的な家族愛を描く名作に変容した時代の変化

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 アルバン役は、1997年から再演のたびに市村正親が演じています。中年男性のアルバンは更年期の真っ最中でふさぎ込むことも多く、ショーの出番に遅れることもしょっちゅう。映画版では、アルバンがなぜ女装するのかについての深い言及がないのですが、ミュージカルでは、体力の衰えや倦怠期を迎えたジョルジュとの仲への疲れや不安でくたびれたオジサンが、メイクとドレスという鎧を身にまとって華やかな人気歌姫へと変身することで、幸せや自身への誇りを感じているさまを、一曲まるまる割いて描いています。

 ジョルジュ役は、2008年以降は鹿賀丈史が担当。まだ若いジャン・ミッシェルはアンナとの未来しか見えておらず、アルバンに他人のふりをさせる自分の要望がどれだけ彼を傷つけるものなのか、本当には理解できていません。ジョルジュも、どれほどアルバンに大事にしてもらったか説いて息子を咎めても、普通ではない境遇で育つことの苦悩への理解がほしかったと訴えられては、強く出られず。ただ、言うべきことはきちんと言っても、大人になった息子からの耳の痛い発言も受け入れる姿は、ごく普通の父親の姿です。

 ダンスも楽曲も明るく覚えやすいもので、古きよき時代のミュージカルの雰囲気さえ感じさせる作品なのですが、ニューヨークでの初演当時、ゲイの男性が主役のミュージカルはブロードウェイでも例がありませんでした。日本公演でも同様で、男性同士を「夫婦」として観客が受け取ることはむずかしいだろうと、かつての演出ではジョルジュを男性、アルバンはほぼ女性として表現し、イニシアチブをとるジョルジュに、追従するアルバンという形をとっていたそうです。

舞台は社会とともに変化する

 しかし現実社会でゲイが市民権を得たことで、近年の上演では、ただゲイであるだけでお互いに折れたり怒ったりする、ごくノーマルなつれあい同士として描かれているように感じます。市村正親の演じる「オバサン」ぶりが大変にチャーミングであることは不変ですが、「私たちの息子がオンナと結婚するなんてね」と軽口をたたく姿や、ダンドン議員にアブノーマルだとののしられても「ハーイ変態でーす」と受け流す様子も、露悪さやマイノリティの諦念というよりも、イイ歳したオトナだからこその余裕、とみることができます。

 アルバンはメーンソング「ありのままの私」で、「憐れみもお世辞も必要ない 私は自分の世界で誇りを持って生きる」と歌いあげます。かつての演出ではこの曲も、ゲイであることを乗り越えて生きていく覚悟が込められていたのでしょう。でも、ありのままの自分で生きていきたいのは、家族への愛と同じく普遍的なものです。

 社会の変化を受けて、自分の生き方と愛の在り方を貫く生きざまへと演出が変わってきたように、現実の出来事が創作に追いつくのは、きっともうすぐそこだと思うのです。

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