かつて受けた数々のセクハラ。私に加害してきた人は、どんな心境だったのか?

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斉藤:そうですね(笑)。でもその人にとって加害行為は得るもの、メリットがある。だから、くり返します。そしてそれは、必ずしも性欲の充足とはかぎりません。弱い人をいじめたり自分のいいなりにさせたりして自分の力をたしかめることで優越感を感じる、達成感を得る。そのようにしてでないと、自分自身の心の安定や優位性を保てない。そういう意味では、やっている行為は暴力的ですが弱い人たちかもしれないですね。

ーーそのたしかめ方って絶対幸せではないですよね。本人は幸せだと思い込んでいるのかな。それでストレスが解消されていると思っていたり、実際に解消されたりするのでしょうか?

斉藤:暴力って、力を確認する行為なんです。けれど一方で、DVや性暴力といった加害行為をくり返す人の根底には、「恐怖」という感情があります。

ーー誰のことが怖いんですか?

斉藤:暴力をふるう相手、要は被害者です。彼らは自分より弱いはずの人から反発されたり、存在価値を認めてもらえなかったりすることが、すごく怖いんです。その恐怖を防衛するために加害行為をくり返す、というメカニズムが共通してあります。だから加害者臨床では、その人の恐怖をどうやって扱うかがすごく大事なんです。

恐怖や行為責任を「追及する」という形でアプローチすると、彼らは余計に引っ込み、閉じてしまいます。自分で怖さをちゃんと認め、それを表現できるようなアプローチをしないと、「加害をしていた自分」からの変容へは繋がりません。

男性のアイデンティティは脆い

斉藤:その映画監督も、女性への加害行為をくり返さないと自分の価値を確認できなかった。または背景に男らしさへのとらわれがあり、それを失うことへの慢性的な恐れがあったのかもしれません。弱さを認める恐怖から自分を守りたくて問題行動をくり返していた。でも本人に「あなたは何をそんなに恐れているのですか」っていっても否認しますよ。一番認めたくないことですから。

ーー「暴力は力を確認するもの」とおっしゃいましたが、だったら自分より強いところに行けばいいのに弱いところに行くんですね。

斉藤:そうですね、それだけ男性のアイデンティティは脆いと思います。つまり、女性というジェンダーに補完してもらってはじめて安定する、自分より下に見ている女性を力で支配することでやっと安定するという特徴があります。たとえば、女性を支配できて男は初めて一人前になれる、みたいな歪んだ認知がいまだに存在しています。ここには、力で支配できなければ社会から男と認められないという恐怖がありますね。これからの新しい世代の男性はそういう恐怖や弱さを自分でちゃんと認めて、相手と対話をしていく必要があると思います。

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 対話ーーここに出てくる対話とは、治療における医師との対話という意味もあると思いますが、「自分自身との対話」という意味もあるのではないでしょうか。

 私が性暴力について文章を書くとき、被害に遭ってつらい人もそうでない人も、「すべての人が自分と向き合うことが大切だと思う」と常に主張しています。自分の弱さ、強さ、うれしいこと、いやなこと。そういったものを常に考えながら生きていくことで、心も身体も健全になり、人を傷つけたり傷つけられたりすることがグッと減るのではないかと考えているからです。

 後篇では、どうしたら性暴力をやめさせられるのか、私の思う「対話」の重要さも考えながらさらにお話を聞きます。

▼後篇:性加害と依存症の問題から浮き彫りになった、対話ができない男性の脆弱さ

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