眞子さま・小室圭氏の婚約騒動、その背景にある女性差別と政治の怠慢

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2018年1月2日、 皇居での新年一般参賀における、(左より)秋篠宮文仁親王、同妃紀子、そして眞子内親王。(写真:AFP/アフロ)

【歴史学者・小田部雄次氏インタビュー 後編】

 2018年5月25日、宮内庁は、秋篠宮家の長女・眞子内親王の結婚延期をめぐる一部週刊誌の報道に、天皇、皇后両陛下が心を痛めているとの声明を同庁ホームページで公開した。2017年末以降、眞子内親王の婚約者・小室圭氏の母親の400万円を超える借金トラブルが週刊誌やワイドショーで取り沙汰され、今年2月には宮内庁より2人の結婚延期が発表されたのは周知の通り。しかし、この結婚延期騒動を「小室家側に問題があった」で片付けてよいのだろうか?

 日本近現代史が専門の歴史学者で、近代以降の皇室の在り方にも詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の話をもとに、過去に起きた皇室の婚姻トラブルを参照しながら騒動の背景を全3回に分けて考察する。

【歴史学者・小田部雄次氏インタビュー 前編】
【歴史学者・小田部雄次氏インタビュー 中編】

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 第1・2回を通して、皇室におけるさまざまな婚姻トラブルと、特に大正天皇の婚約破棄事件の要因にもなった「男系男子」という“後付けの伝統”について考察してきた。最終回である第3回では、眞子内親王の結婚延期問題を、週刊誌的な視点ではなく、政治との絡みの中で見ていきたい。

皇室会議という“お墨付き”

「まず、戦後の皇族に関する大きな婚姻トラブルは、主に皇室に“入ってくる”女性、すなわち将来の皇后になる女性の話なんです。そして、皇室に入ってくる女性は、皇室典範の定めにより、皇室会議による審議を経なければならないことになっています」

 皇室会議とは、2人の皇族と、衆参両院議長および副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官およびその他の裁判官1人の計10人により、皇室における重要事項を合議する機関である。美智子皇后も雅子妃殿下も、この皇室会議を経て結婚が内定している。

「もっとも、だいたい『この人で決まりだろう』となってから審議にかけられるのですが、美智子さまのときは、彼女がキリスト教の洗礼を受けているかどうかが問題になりました。要は、美智子さまは幼稚園から大学までカトリック系の学校に通われており、皇室と密接な関わりのある神道よりも、キリスト教に傾倒しているのではないかと。しかし、当時の首相で、現・安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介は、宮内庁長官に美智子さまの洗礼の件を問い、長官が『洗礼は受けておりません』と答えると、それ以上は突っ込まなかった。つまり岸首相は、事を荒立てずに審議を終わらせようとしたのです」

 一方の雅子殿下の場合は、彼女の祖父の江頭豊が、四大公害病の一つである水俣病の原因となったチッソ株式会社の社長だったことがネックになると見られた。しかし、これも問題なしと、あっさり皇室会議を通過している。そこにはさまざまな思惑が渦巻いていたであろうことは察せられるが、ポイントは「皇室会議で結婚のゴーサインが出た」ことだという。

「皇室会議を通っている以上、結婚に対して外野がとやかく言うことはできなくなるんです。いわば最高権威によるお墨付きが与えられたわけですし、皇室会議で決まったことを覆すだけの世論は、よほどのことがない限り存在し得ません。要するに、皇室に入る女性はチェックを受けなければならないけれど、チェックを受けたぶんだけその婚約には安定性が生まれるわけですね」

 第1回で触れた「宮中某重大事件」において、昭和天皇の婚約破棄を阻止するための決め手になったのが「天皇の裁可」だったのと同じで、お墨付きがあるから簡単には覆せないというわけである。問題は、今回の眞子内親王のように、“皇室から出ていく”女性のケースである。

「明治天皇以降、天皇の娘(内親王)はみな皇族に嫁いでいるんです。それ以前は、幕末に和宮親子(ちかこ)内親王が徳川家に嫁いだ例もありますが、この“将軍家に嫁ぐ”ということでさえ、当時は大問題になったわけです。また、明治天皇には4人の成人した内親王がいましたが、その嫁ぎ先たる皇族がいなかったために、新たに宮家を作らせたことはすでにお話しした通りです」

 続く大正天皇には、幸か不幸か娘がいなかったため、嫁ぎ先で悩む必要はなかった。しかし、昭和天皇には娘が5人もいた。

「長女の成子(しげこ)さんは、第二次世界大戦中の1943(昭和18)年に東久邇宮に嫁ぎました。問題は、戦後です」

 1947(昭和22)年にGHQによって皇室財産が国庫に帰属させられたため、皇室は従来の規模を維持できなくなり、11宮家は皇籍離脱せざるを得なくなった。つまり、内親王の嫁ぎ先がごっそりなくなったのだ。

「次女の祐子(さちこ)さんは生まれてすぐに亡くなってしまいますが、皇族という嫁ぎ先を失った三女・和子さん、四女・厚子さん、五女・貴子さんは、それぞれ鷹司家、池田家、島津家という、旧華族につながる名門に嫁いでいきました。なかでも1960(昭和35)年に結婚した五女の貴子さんは、結婚直前の誕生日会見で『私の選んだ人』という流行語を生み、まだ見合い結婚が一般的だった当時、皇族女子が自由恋愛という新しい結婚の在り方をリードした格好になりました。ただし、貴子さんが嫁いだのは島津家という名家であり、“平民”の家ではない。そこにはやはり、身分差が明確に存在していたといってよいでしょう」

 結婚後、皇籍離脱し島津貴子となった彼女は民間企業に就職し、一般社会に溶け込もうとしたが、他方で営利誘拐未遂事件の被害に遭うなど、その難しさも垣間見せた。

大学を出ると“出会いが減る”皇族たち

 そして、正真正銘の民間人のもとへ初めて嫁いだ内親王が、紀宮清子内親王(現・黒田清子)である。

「清子さんが結婚したのは2005(平成17)年ですが、1992(平成4)年に学習院大学を卒業後、山階鳥類研究所に勤めてからなかなか結婚相手が見つからなかったんですよね。それで秋篠宮文仁親王が幼馴じみの黒田慶樹さんを紹介して、ようやく結婚にこぎ着けたわけです」

 実は皇族というのは、大学を出てしまうと異性と知り合う機会が極端に減ってしまうのだという。

「おそらく文仁親王はそれを知っていたし、なおかつ若い頃は自分が将来天皇になるとは思ってもいなかったでしょうし、そもそも皇位継承順位は兄の徳仁親王が1位だから天皇になる予定もなかった。周囲も同じように考えていたので、学生時代に紀子さんにプロポーズできたし、その翌年には結婚も内定に至ったわけです」

 ゆえに小田部氏は、文仁親王は娘である眞子内親王と佳子内親王にも、自身の経験から「学生時代に結婚相手を見つけておきなさい」と言っていたのではないかと推測する。事実、現在結婚延期の渦中にある眞子内親王も、小室圭氏とは国際基督教大学(ICU)在学中に出会っている。

「眞子さまは、清子さん以来の皇室から出ていく内親王になる予定だったのですが、皇室から出ていく皇族女子に対しては2つの規定があります。1つは、皇室典範第2条の『皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる』というもの。そして皇族の身分を離れる際は、皇室経済法第6条により『皇族であつた者としての品位保持の資に充てるために』一時金が支払われるというものです。逆にいえば、それさえ守れば誰と結婚してもいい。皇室会議のような機関を通す必要もありません」

 もし仮に、眞子内親王の婚約が皇室会議を経て決められたものであったら、今回のような騒動は起きなかったのではないか、と小田部氏は語る。なぜなら、皇室会議の決定を覆させないために、小室家側になんらかの問題があっても、事前に適切な対応をしていただろうからだ。しかし、現実には皇室から出ていく女性の結婚相手を審査する機関は存在せず、それゆえにお墨付きも与えられないのだ。

「むしろ、小室さんの家が母子家庭だったというのは、宮中にとっては悪いことではなかったと思うんです。というのも、美智子さまは母子家庭の支援を含む福祉活動をずっとしてきたわけですから。そういう意味では、皇室の方々が『母子家庭だからダメだ』と口にすることはあり得ないでしょう。しかも、眞子さまの結婚は非常に現代的な自由恋愛の結果ですし、うまくいけば、いままでにない皇室女子の結婚のスタイルを提示できていたかもしれません」

 いやらしい言い方になってしまうが、眞子内親王の結婚は、美談に転化しようと思えばいくらでもできたはずだ。事実、当初はそういった報道が多かったのは読者もご存じであろう。しかし結局は小室氏の母親の借金トラブルがクローズアップされ、1億2500万円ともいわれる一時金の一部がその返済に充てられるのではないか、ひいては金目当ての結婚ではないかと騒がれてしまった。

「一時金は国庫から支出されるお金ですから、その使い道に国民が関心を示すのは当然であり、『金目当ての結婚』説が事実ならばそれは由々しき問題です。しかし、この婚約延期騒動が今後の皇族女子の結婚の在り方に少なからず影響を与えてしまうだろうことも、非常に大きな問題です。具体的には、佳子内親王と、次の天皇の長女たる愛子内親王の結婚相手をどうするのか」

 そして、その問題を招いてしまったのは、詰まるところ、政治家が問題を先送りにしてきたからだと、小田部氏は語る。

「眞子さまもその犠牲になったのだ……といったら大げさかもしれませんが、少なくともそのせいでつまづいてしまったといってよいのではないでしょうか。つまり、なぜ彼女がそんなにも急いで結婚しようとしたのか、と。それは、『自分の将来の立場を明確にしておきたい』という思いがあったからではないかと私は思うわけです。今後の跡継ぎ問題に対して政治が答えを見いだせていない以上、自分が将来どうなるかわからない。将来的に悠仁親王が即位して、自分は天皇の姉になるのか、はたまた女帝が認められて自分が天皇になるのか。あるいは、男系維持のために旧皇族と結婚させられる可能性もゼロではない。だから、自分の意思で決められるものは決めておきたい……そのような深層心理があっても当然のことなのではないかと」

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