
Thinkstock/Photo by maroke
大阪市住吉区で今年の4月、子育てのストレスから精神的に追い込まれ、長女(2)を自宅マンションのベランダから投げ落とし殺害したとして、母親(31)が逮捕されるという事件があった。長女に虐待やネグレクトの跡は見られず、容疑者は幼児向けの音楽教育を体験させたり、水泳教室に通わせたりなど、育児に積極的に取り組む“生真面目な母親”だったと報じられている。容疑者は「子育てで余裕をなくしてしまい、事件の1週間ぐらい前から長女を育てていけるのかという悩みや不安が大きくなった」と供述している。
“不真面目”ではなく“生真面目”であるがゆえに子育てに追い詰められ、最悪の事態を招いたケースは過去にもある。愛知県武豊町で2000年12月、21歳の両親が3歳の女児を段ボール箱に入れて餓死させるという事件があった。犯人の母親は、日頃から家計簿をつけたり、病院に通う際、バス代を節約するため自転車で通ったりなど、生真面目な性格だったようだ。一方、父親も職場内で評価されており、収監後も仕事のことを気にかける生真面目さが見られたという。神奈川県厚木市で2014年5月、アパートの一室で生きていれば中学1年生だった男の子の白骨遺体が発見された事件でも、逮捕された父親は職場で上位20%にあたるAランクの評価を収めるなど、生真面目な社員として働いていたとされる。
いたましい児童虐待事件が報道されるたび、生来の残虐な性質や不真面目な姿勢が虐待につながったと捉え、ネット上には親に対して「お前が地獄に落ちろ」「育てられないなら子供を生むな」などの罵詈雑言が並ぶ。しかしこういった書き込みは、子育て中の親達をさらに追い詰め、第二第三の被害者を出す悪循環に発展しかねない。生真面目だからこそ、“適当”の加減がわからず、SOSも出せずに孤立してしまう側面もあるのではないか。
児童虐待の取材を続けているルポライターの杉山春さんは、2016年にwezzyのインタビューに応えてくれた際、「規範的な『家族』を得なければ、社会から認められないという葛藤が強い。時にはそれが過剰な母子密着につながってしまう。母であることに強い価値が置かれているからです。状況が困難な母親が、唯一子供だけが自分の力を及ぼせる対象になり、虐待につながることもあります」と語っている。
それは“母親”に限ったことではない。杉山春さんは今年2月に、前出「厚木事件」についてBuzzFeed Newsの取材に応じた際も、同事件の父親と拘置所での面会や手紙を通じて感じたこととして「外からの目を遮断しようとしたり、他人からの評価を嫌がったりする傾向もありました。仕事は休まず、ケアできない部分は隠そうとする、過剰な『生真面目さ』がある。それが孤立につながったのではないでしょうか」とコメントしている。
2015年2月に、ダウンタウン・松本人志がツイッターに、「新幹線で子供がうるさい。。。子供に罪はなし。親のおろおろ感なしに罪あり。。。」と投稿し、物議を醸したことがあった。「激しく同意」「親の問題」など、賛同するリプライが多く寄せられたが、そうした厳しい視線は、不真面目な親の衿を正すというよりは、生真面目な親を追い詰める方向に作用していないだろうか。
公共交通機関を利用する赤ちゃん連れの保護者を「子連れ様」と揶揄するなど、煙たがる人々が存在することは事実。先日もツイッターでは、公共の場で騒ぐ子供を叱らない保護者を「親になりきれていない親」と断罪する投稿がバズり、賛否あった。後に投稿主は<決して頑張っている親を責めたい訳では無く議論の中で飛び交っていたいわゆる、「一部の親」に向けたかった事が本音>と意図を説明しているが、こうした議論がその「一部の親」に届くとは思えない。多くの親は、電車内で赤ちゃんが泣き出すと、申し訳無さそうな顔を浮かべ必死にあやす。中には、目的の駅に着いていなくても、赤ちゃんを泣き止ませるために下車する人さえいる。そうした「頑張っている親」こそが追い詰められてしまう。
保護者が子育ての第一責任者であることは間違いないが、第三者から「親ならちゃんとすべき」「親なら周囲の人間に迷惑をかけるな」などの過剰なプレッシャーをかけられることが、親子にとって良い方向にはたらくことはありえない。