神戸の女子高校生はスカートが長い。派手な子ほど長い。長い方がイケている。
スカート丈を詰めるのは簡単だが、伸ばすのは至難の技だ。ふくらはぎから足首までの丈でプリーツを揺らしているのは、たいてい、中高一貫の女子校に通う女の子たち。エスカレーター式の学校は、6年間同じ制服を着るか、高校進学時にブレザーやブラウスなど、上半身だけがモデルチェンジするケースが多い。将来的にギャルになりたければ、それを見越して中学生のときから大きめに仕立てなければならない。めいっぱい大きく仕立てて、ウエストだけを後で絞る。計画性が必要なのだ。
この壮大なロングスカート計画は、普通に校則違反である。違反ではあるのだが、このスタイルは肯定的に受け入れられてきた。「神戸の女子高校生はスカートが長い」と言うとき、しばしば「神戸にはお嬢様学校が多いから」という文言が添えられる。清楚な、上品な、慎ましやかな、という色付けが施される(少なくとも私が高校生の頃はそうだった)。
しかし私はずっと疑問だった。長すぎても短すぎてもどうせ校則違反なのに、なぜ一方だけが優遇されるのだろう。先生! その子学年で一番くらいのギャルです! いや、別にギャルなのはいいんだけど、多分清楚であるためにロングスカートにしてるわけではないです! ブイブイ言わせるためにやってるんです! 先生! どうして出すのはだめで隠すのは褒められるんですか先生!!!
……という甘酸っぱい記憶を、私は夕方の本郷三丁目で呼び覚まされていた。商店街とも大通りとも付かないのんびりした沿道。呼び覚ました張本人はそんなこと全く知らずに、向こうからずんずん近づいて来る。

(C)はらだ有彩
コットンらしき白いシャツはたぶん無印良品だ。わざとくったりさせている。手に同じくくたくたのトートバッグが提げられている。髪は適当にひっつめていてぱさぱさと左右に揺れる。髪の揺れるリズムを作っている歩幅は、黒いスニーカーから生み出されている。ハイテクのスニーカーに突っ込まれた素足はそのまま長く伸びて黒いミニスカートに続いていた。膝上、25cmくらい。
彼女はだるそうに、でもすたすたと歩いてくる。すれ違う。あ、すっぴんだ。思わず振り返る。スニーカーの踵のふちだけが白かった。
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ミニスカートというアイテムは、歴史の中で自然発生したと言われている。1950年代の終わり、ロンドンのストリートで若い女の子たちがこぞってスカートの丈を詰め始めた。若者のムーブメントをマリー・クワントが既製服に整えて大量生産し、その後アンドレ・クレージュがパリ・オートクチュールで初めて発表。ジーン・シュリンプトンやツィッギーがインフルーエンスした。
ロンドンで最初にミニスカートに足を通した女の子たちは、反体制的な精神に溢れていた。それまでの服飾業界の、女性の身体を装飾の土台としてのみ取り扱う空気。ファッションは上流階級だけが楽しむものだという空気。足を出した女の子たちは身体を主体化し、開放した。ガーターベルトは短くなり、コンパスを邪魔するタイトな布地は消え去り、靴の踵は低くなった。パンティストッキングに欠かせないナイロン素材の進歩と共に、肌というテクスチャーを覆いながら足というシェイプを覆わないでいられる土壌もできた。あの時、確かに女の子たちは自由に躍動していたはずだった。
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突然だが、『スカート、ひらり』は2006年にリリースされたAKB48のインディーズ時代のシングルである。「女の子にはスカート、ひらり ひるがえし走りたくなる時がある」という歌詞だ。ミニスカートから黒いインナーパンツを見せるダンスが登場するミュージック・ヴィデオから、インターネット上では「アキバのパンツ『見せ』集団」と呼ばれていた。これは性的な意思を持った大人が意図的に身体性と「見せる」という行為を複合したものだ。
身体が何にも邪魔されずに躍動することと、身体を誰かに見せることはいつでもイコールでなければならないのだろうか。足を衣服で覆わないことは、いつから性的なことになったのだろう。見せてるんでしょ。見られたくなければそんな格好をするな。という常套句を思い出すとき、「見せる」とは何だろうと不思議に思う。誰だって生きて往来を歩いているだけで、全身まるごと誰かの視界に入っているのに。
2011年、カナダのヨーク大学で警察官が「レイプ被害者になりたくなければスラット(Slut=あばずれ)のような服装をしないように」と発言したことに抗議するため、デモが行われた。どんな格好をしていても性犯罪の原因にされるべきではないという主張のもと、参加者の多くが意図的に露出の多いアイテム、ミニスカートやショートパンツ、ブラトップなどを身に着けて臨んだ。
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そういえば、神戸と同じ関西・同じ女子高校生でも、京都ではミニスカートが主流だった。ウエストを2、3回折り返して調整する。「苦しいので私はホックを外して折っていた」と京都出身の友人は語っていた。試行錯誤してスカートの丈を調整する同級生たちにとって、足そのものを「見せる」かどうかが重要だったのではない。もちろん服飾デザインとしてロング・スタイルやミニ・スタイルを愛していたわけでもない。ただ土地土地の先人に倣って「ブイブイ言わせているように見える」アレンジを追及した結果、長い/短い状態に落ち着いたのだ。
振り返る私に気づくことなく、女の子は開店前の居酒屋の暖簾をくぐっていく。「ざーす」という声とともに、店の制服に着替えたバイト仲間が出迎える。今からあの作務衣風の制服に着替えるのだろう。彼女には見せる気も隠す気も、時代に反抗する気も、同級生としのぎを削る気もなさそうだった。そもそも何のやる気もなさそうだった。化粧するのも面倒な、家から徒歩5分のバイト先に行くため、適当に手に取った着替えやすそうな服がミニスカートだった……というような様子である。気だるい後姿は気が抜けていて、自由に見えた。
これからの数時間、彼女がいやいやながらも駆け回る店内、土曜の夜の喧騒を想像しながら私は駅に向かった。
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書籍刊行のお知らせ

『日本のヤバい女の子』 (柏書房)
はらだ有彩の初めての書籍が2018年5月25日に刊行されます。
日本の昔話に登場する女の子たちの素顔を覗き、文句を言ったり、悲しみを打ち明けあったり、ひそかに励ましあったりして、一緒に生きていくための本です。
刊行記念イベントを開催します!
【私たちが昔話になる日を夢見て】
6/23(土) @ Loft PlusOne West(心斎橋)
開場12:30/開演13:30
ゲストに『人生を狂わす名著50』の書評家/京都大 大学院生の三宅香帆さん、妖怪学の第一人者・文化人類学者の小松和彦先生をお迎えします。
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