RADWIMPSへの抗議、セカオワ「女性蔑視批判」…アーティストが取るべき姿勢とは

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 同じように少し前からあることを一部で問題視されているバンドとしてSEKAI NO OWARIが挙げられる。624日に終了した野外ツアー「INSOMNIA TRAIN」の舞台美術を巡って、ネット上で議論となっていた。歓楽街をモチーフにしたような「INSOMNIA TRAIN」の舞台セットは、ネオンがふんだんに使われ、女性の脚や身体がアイコンにされており、韓国のSEKAI NO OWARIファンを中心に女性蔑視ではないかという指摘が相次いでいた。SEKAI NO OWARI72729日に韓国・ソウルの音楽フィスティバルに出演予定であり、ネット上ではボイコットを呼びかける運動にも発展し、Twitter上ではハッシュタグ「#セカオワ来韓公演ボイコット」も作られている。こうした反応について、SEKAI NO OWARIはコメントなどを出していない。

 こうした「批判」の声があるとき、アーティスト側が何らかのレスポンスをし、対話があってもいいのではないだろうか。それが必ずしも「謝罪」の言葉である必要はない。今回でいえば、女性の肉体をアイコン化したことが「女性蔑視ではないか」と批判されていることについて、「これは別の意図である」と詳細を説明するのでもいいし、あるいは「その視点を持っていなかった」と振り返るのでもいいだろう。SEKAI NO OWARIは、批判を無視し「わかる人だけわかってくれればいい」と閉鎖的にファンを囲い込むような規模のアーティストではないはずである。

 表現に批判はつきものだが、その表現にどのような意図があるか説明を求められたとき、プロならば十分に言葉を尽くし議論できるだけの材料を持つだろう。そして欠けていた視野や足りない考察があったとしたならば、それに向き合い、以降の表現に繋げることもアーティストとして必要な姿勢ではないだろうか。

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