親も一人の人間である…自己犠牲の積極的な肯定と、抑圧的な世間の目

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Thinkstock/Photo by Katie_Martynova

 622日放送の『ゴロウ・デラックス』(TBS系)に、コラムニストのジェーン・スーさんが出演。番組中、518日に発売した『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)を書こうと思った理由や親の見方などを語った。ジェーン・スーさんは同書の執筆のキッカケについて「24歳の時に母を亡くして、母親ってお面をずっと付けたままで終わっちゃったんですよ。つまり、母じゃない彼女の姿を、『母親をやらなきゃいけない』っていうプレッシャーがないところでの話を一切聞けなかったんですよ」と、“母親”としてではなく一個人として母親を知ることができなかった後悔があったそうだ。そこで「ふと横を見ると父親がもうすぐ80歳になってきて、このままだとものすごく後悔するなって思った」と、父親にインタビューをして、“父親”ではない父親の素顔に迫ろうと試みたのだという。

 続けて、「半径5メートル範囲のことじゃないですか?家族って。だけど、話聞いてみたら知らないことばっかりで……たかくくってたなって思って、親のことわかってるって」と、身近にいたはずなのに全く父親のことを知らない自分に気づいたと言い、「多面的に親を見れるようになりました。ずーっと“親”ということでジャッジしてたけど、親以外の面もあって当然」と、執筆することによって別の視点を手に入れられたことを語った。

 ジェーン・スーさんの言う通り、私達は自分の親の“親”ではない側面を知る機会に乏しく、父親や母親というのが役割に過ぎないことを忘れてしまいがちだ。幼少期ならともかく、大人になっても。そして親自身もまた、“親”を意図的に演じているところがあるかもしれない。

 ベネッセコーポレーションが2009年、首都圏の幼稚園・保育園児の母親を対象に実施したアンケート調査によると、「子育ても大事だが、自分の生き方も大切にしたい」と考える母親は56.7%と半数ほどだったという。しかもその割合は、1997年は74.7%だったが、2003年は63.8%……と減少傾向にあった。また、41.8%の母親が「子どものためには自分が犠牲になるのはしかたない」と回答、4割の母親が子育てのための自己犠牲を肯定していた。個人を捨て“親”になることを選択する人、また選択すべきだと考える人が多いことがうかがえる。もっとも、およそ10年前の調査であり、現在同じ調査をとれば別の結果が出る可能性もあることは考慮しておきたい。

 一方で、“親”である当事者ではなく、その親を監視する世間の目は、現在も抑圧的であると言わざるを得ない。昨年巻き起こった、真木よう子へのバッシングを覚えているだろうか。「女性自身」(光文社)が、女優の真木よう子が元夫に子供を預け恋人とデートしていたことを報じた際、あるワイドショー番組は彼女に「母親失格」の烙印を押した。ネット上でも「子供が可愛そう」「親として自覚がないのか」という意見が多数見られた。「親なら子供のために全てを捧げて当然」「常に子供のことを気にかけ無くてはいけない」といったプレッシャーが世間に充満している印象を受けざるを得ない騒動だった。

 親になったからといって、それまでの個人と別の人間に切り替わるわけではない。生活の一部分として親という役割を持つ場面は多くなるにしろ、それがすべてでなければならない理由はどこにもないだろう。また、 “親”以外の顔を失ってしまうことは、結果的に親子関係を歪にする恐れもある。

 株式会社キッズラインが2017年、子育て中の男女497人を対象に実施したアンケート調査によると、「あなたは今、育児についてストレスを感じることはありますか?」という質問に91.7%が「はい」と回答。「育児中で一番ストレスに感じることは何ですか? 一番感じることをお選びください」については、「自分の時間がない」が53.5%と最も多かった。複数人の幼児を育てている場合や、新生児を抱える時期など、自分の時間を犠牲にしなければ生活が成り立たない場面はあるものの、過度の育児ストレスは守りたいはずの生活を脅かす危険因子になってしまう。

 子を持った瞬間から24時間365日“親”ではあるが、同時に、一人の個人である。「子供のために自分の時間を捧げること」が親として当たり前で、かつ美しいものであるという認識への疑問は、より広めていく必要があるのではないだろうか。

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