ーー私もいろんなものに依存してきたのでよくわかります。やめられないとき「やめられない自分はダメだ」とずっと自分を責めていましたし、周りからも責められました。そうなるとさらにやめられないんですよね。
なので私は、「くり返す性暴力には依存症の側面がある」と聞いたとき、「だったら仕方ない気もする」と少し思ってしまったんです。もちろんそれで彼らを免責するわけではないですけど、本人もつらいだろうなと思ってしまって、どういう態度をとっていいかすごく悩むんですよ。その行為に依存しているなら、責めたら余計にどんどんひどくなっていっちゃうんじゃないか。だからといって、そのままでいいんだよとはもちろんならないですし。
斉藤:そういう人は基本的に、加害行為をしている自覚がないんですね。自覚を持つのは、結局は逮捕され、彼らにとっての痛みを感じたときになります。家族や仕事、社会的地位を失うことを極度に恐れていますから。
セクハラの話題をきらう男性たち
斉藤:われわれが適切に介入するには、依存症の問題を表面化させる必要があります。アルコールや薬物、ギャンブルは健康を害したりや借金したりしてコントロールを失い自滅することで、表面化します。何より自分が困るわけです。加害行為は相手が泣き寝入りすることが多いため、肉体的に本人は痛くないので表面化もしにくいわけです。
ーーなるほど。では、いまくり返している加害行為をやめさせ、加害者のつらさを取り除いて二度と罪をくり返させないようにするには、勇気を出して告発するのもひとつの手なのですね。
しかし私自身が#Metooの発信をするなかで、聞きたがらない男性が少なくないと感じました。いままでセクハラをまったくしたことがないような人でも、その話題をあまり聞きたがらない、というような。
斉藤:発信されたものを無視する、はぐらかす、見て見ぬふりするというのは、受け取る側の対話力の問題だと思います。その力が、脆弱なんです。「ちゃんと正面で受け止め、追及されるとしんどいけども、きちんと前を向いていこう」という姿勢が受け取る側にあれば、そこから対話が始まります。先日、そういう話をメディアで発信したら、ツイッターなどで反発されました。「フェミに忖度する専門家」「フェミの下僕」、みたいな(苦笑)。
これからの男性にはフェミニズムが必要
斉藤:私はフェミニストではないです。ただ単に加害者臨床を長くやっているうちに、自然とフェミニズム的価値観を内面化することになっただけです。そこには加害者の行動変容に必要な要素がふんだんに盛り込まれています。こうした臨床経験から考えるに、今後、新しい世代の男性と女性がより対等に対話していくためには、男性側がフェミニズムを学ぶ必要があるんじゃないか、と。つまり日本ではまだまだ必須科目になっていない、ジェンダー教育ですね。
ーーフェミニズムを女性絶対主義、だと勘違いしている人が多いと感じます。どうしたら学んでくれるんでしょう? 別に女性は、男性を陥れようだなんて考えてないと思うんですよ。しかしそのように受け取っている男性が多いように見えます。なぜなんでしょう?
斉藤:それも、怖いからだと思います。男は強くあるべきだ、弱音を吐くな、など男らしさの教育をずっと受けてきましたから。
ーー女性は割と自分の弱いところを見せたり、話したりすることが日常的にあるように思います。悩んでいても「女のくせにメソメソするな!」などいわれないですものね。男性も強くあらなければいけない、という価値観のなかで苦しんでいることがあるのですね。
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ありがとうございました。斉藤さんのお話を聞くことによって、私のなかで性暴力の加害者と依存症について、男女のさまざまな生きづらさについて、より深く考えることができました。
何度でも書きますが、依存症であろうとなかろうと私は加害者を許そうとは思っていません。ただ、その加害者が生まれてしまう環境の一部はもしかしたら私を含む社会が作っているのかもしれないと、今回斉藤さんのお話をうかがって感じました。