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昔話の女たちは、バチバチにキレていた——『日本のヤバい女の子』はらだ有彩さんインタビュー

【この記事のキーワード】

「“女の子”という言葉が示す意味そのものが変化していけばいい」

——本に登場するヤバい女の子たちは、“女らしさ”のレギュレーションを次々に破壊していくヒーロー/ヒロインのようにも思えます。表現の世界で見られるヒロイン像も、たとえば“戦うヒロイン”の登場のように、男性から守られるお姫様的なものから、自力で戦うヒーロー的なものへと変遷が見られますが、そうした女の子たちについてどう感じられていますか。

はらだ:女性がヒーロー化するときって、必ずと言っていいほどドレスアップしますよね。『美少女戦士セーラームーン』もそうだし『プリキュア』シリーズとかも。『プリキュア』は女の子が肉弾戦をするという点ではたしかにエポックメイキングだけど、ドレスアップもするし、服飾とかお菓子とかの“女の子らしさ”と紐付けされたものと結びつけられるから不思議だなと思っていて。だけど歴史の中ではドレスアップ=着飾ること自体が男性の目を惹くという要素と密接に関わっていた瞬間もあったわけで、それと切り離されたヒロインっていないのかな、と考えたりもします。

——ディズニー映画に登場するプリンセスも、ヒロイン像の変遷する例としてしばしば取り上げられますね。

はらだ:プリンセス像が変化していくこと自体はいいことだと思います。だけど各々の“プリンセス像”が変化する反面、“プリンセス”という外枠のイメージは変わっていない気がするんですよね。「プリンセスみたいになりたい」って言うのと、「『アナと雪の女王』のプリンセスみたいに主体性を持ちたい」っていうのとは必ずしも一致しない人はあんまりいないんじゃないかな。しかも「女の子なら誰でも憧れるもの」みたいに表現したりするじゃないですか。

——たしかに、言葉が指す意味自体はアップデートされていない。“女の子”のイメージもそうですね。今も昔も“ヤバい女の子”はたくさんいるのに、“女の子”と聞くとなんとなく可憐なものが想像されてしまう。

はらだ:実は一人一人はちょっとずつ変化しているんだけど、それに私たちがついていけていなくて、古典的なイメージのままだったりするんじゃないかなって。アップデートされていないし、ダイバーシティに対応していない感じですよね。だから“プリンセス”や“女の子”という言葉の意味も、将来的に一緒に変化していったらいいなと思います。じゃあ何でタイトルで「女の子」と使っているのかというと、昔、あるメーカーさんで総合職の男性たちが一般職の事務の人たちのことを「女の子」という総称で呼んでいるのを見て、そりゃ確かにほとんど女性なんだけど、うーん…となったことがあって。「女の子」にもっと親愛の意味を込め直したかった、というのがあります。「女」「女性」「女の人」よりも近い、友達の感覚で使っています。

——はらださんが表現をされるとき、一番気を遣われているのはどういうところですか?

はらだ:私は「ニュートラルだとみせかけて実は根底が偏ってる」っていうのが一番ださいと思っています。たとえば「美人とかブスという指針を日常に持ち込むべきではない」という話をしているときに「そうそう、女の子はみんな可愛いんだから」って発言があったとしたら、それは大きな問題じゃないですか。「そもそも可愛くなくても問題ないはずだ」っていうふうに、できるだけ真理に近づいた状態で話をしたいと思っていて。

——フラットな状態で表現をするために、どういったプロセスを踏まれているのでしょうか。

はらだ:結局のところ他人のことは分からないから、なるべく私のジャッジを入れない、断言をしないようにしています。あとは自分で自分の間違いを注意するのは無理だから、信頼できると思う人を勝手に心の中に呼び寄せてみて、「この人だったらどう思うかな」って想像するようにする。たとえば私の母はゴリゴリのフェミニストなんですけど、口寄せみたいな感じで呼んでみて、できるだけ余計なことで苛立ちを感じさせたり、悲しませたりしないようにしようって思っています。

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『日本のヤバい女の子』(柏書房)

「今生だけでは時間が足りないから」

——『日本のヤバい女の子』は、現代で生きづらさを抱える人たちを優しくお茶に誘い、心をすくい上げてくれるような本だと感じます。読者を苦しさから助け出したいという意識はありますか。

はらだ:助け出せるかどうかは、正直分からないです。自分にできることって限られていると思うから。たとえば身近に同性のカップルがいて、「結婚したいけどできないんだよね」という相談をされたとしても、私がすぐに解決してあげられることってたぶんないんですよ。そういうときに、ちょっと喋って楽になってもらう、みたいなことが本を通してできたらいいなと思って。

『馬娘婚姻譚』という話には、馬を愛して結婚したけれど、父親の手で馬を殺されてしまった女の子が出てくるんですけど、悲しみに暮れた彼女は馬の首とともに天に昇って、オシラサマと呼ばれる神となるんです、みたいな話をして、実際には無理なんだけど「そういう話もあるんだな」「最悪宙に消えればいいか」ってちょっと楽になってもらえたらいいなって思ってて。私はただ、「私やあなたのほかにも、同じ目に遭ってる人がいたんだよ」っていうことを書き残しておきたかったんです。それを読んでくれた人たちが「じゃあ私もこうしてみよう」、「状況は変わらないけどこう思う」とか、「いっそ状況を変えてみよう」とか、結果として思ってくれたらいいなって。

——本の序文には「私たちが昔話になる日を夢見て」というタイトルがつけられていますが、はらださんの文章からは、伝承を語り継ぐ流れに連なるような、後世に資料を残していくような印象を受けます。

はらだ:たぶんすでに社会にある問題を一つ残らず完璧に改善するには、今生だけでは時間が足りないので、「ちょっと間に合わなかったけど、あとよろしく!」みたいな感じで次の世代の人に引き継ぎをしたいという気持ちはあります。たぶんあと70年くらいしたら私たちって死んでいるし、この瞬間に生まれた人でもあと100年くらいしたら死ぬじゃないですか。連綿と人類というものが続いていくなかで、自分の思ったことを誰かに伝えて、それでまたそれが伝わって……って続いていく。

——はらださんの視点は、遠い時代の女の子たち一人一人の感情に寄り添う女友達のようでもあり、悠久の時の流れを見せてくれるストーリーテラーのようでもあり、私たちの身近なところにも、もっと遠い時代にも希望を示してくれるものだと感じました。

はらだ:もちろん「明日会社に行ったら絶対あの上司がいらんこと言ってくるわ」っていうことはあるけど、歴史上でみんな繋がっていて、長い目で見てちょっとずつよくなっていくのかなって思うことで救われることもあるなって思うんです。今の視点ともっと広くて高い視点をいったりきたりしながら、なんとか暮らしていきたい。時間が経って癒されることもあれば、癒されないこともあると思うんですけど、長い時間の中でいろんな人たちの物語と混ざり合って、最後にはよかったって思えるように暮せたらいいな。
(聞き手・構成/餅井アンナ)

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