エンタメ

globe・KEIKOの「ひとりで外出、カラオケで歌える」という現状と、小室哲哉の認識との「ズレ」

【この記事のキーワード】

KEIKOに必要な「介護」とは?

 小室が会見で語った内容と、今回KEIKOの親族らが「週刊文春」に語った証言は、かなり食い違っている。KEIKOの親族らの証言が事実ならば、なぜ小室は周囲の反対を押し切って望んだ会見で、事実とは異なることを話したのかと疑問だ。このような反論が出ることは予想できたはず。

 それとも、小室にとっては「事実」と認識している内容だったのだろうか。KEIKOの介護について小室は、自分が多忙になるにつれて「スタッフ方たちやご家族の方たち、そういった方の支援がなければ、仕事が追い付かなくなってきた」とも語っており、自分だけでKEIKOの介護を担ってきたわけでないということは、少なくとも認識しているだろう。あるいは、自分のスタッフや付き人にKEIKOの介護を任せたり、介護しやすいように部屋を整えるよう指示したり手配したり、彼女の現状をSNSで知らせるよう依頼するなど、そうした行動や金銭的な面で「している」認識だったとも考えられる。

 そもそもKEIKOに対して必要な「介護」とは何をさすのか。不倫報道と会見より以前の段階から、KEIKOの体調について「決して悪くはない」との見方はあった。2015年にglobeのマーク・パンサーは、インタビューでKEIKOの病状について、後遺症として短期記憶障害を負っているため直近の出来事を記憶できない状態であり、新曲を覚えて歌うことは出来ないものの、「会ってみたら普通にしゃべっているし、普通に歩いているし、動いているし」と語っている。それは今回の親族や知人の告発内容と同様だ。

 マークいわく、電話で話しても「普通」で、「記憶も僕のことも覚えているし、あらゆることを覚えている」そうだ。マークは「でもすぐに治ってすごく良くて、そこに現在記憶はないけれど、もうこれだけ昔と変わらないかわいいKEIKOなわけだから、僕にとっては何も変わってないんですよね」とも明かしていた。ならばKEIKOは、globe時代のことや夫との結婚生活のことも忘れ去っているわけではないだろう。

 だが、それはあくまでもマーク・パンサーの認識であり、“夫”である小室哲哉にとっては“病気以前のKEIKO”と “病後のKEIKO”は別人という認識なのかもしれない。直近の記憶を失ってしまうというだけでなく、高次脳機能障害によって感情のコントロールが難しかったり、単純な事務作業が出来なかったりといった症状がある可能性もある。音楽に関しても、コミュニケーションに関しても、小室にとっては「もう以前のような“大人の女性”で“歌手”のKEIKOとは違う」ということではあるのだろう。

 それでも、KEIKOとの今後の生活について親族らと話し合うことなく、引退し時間の余裕ができたであろう今も大分へ会いに行かず、引越しを知らせることもせず……という小室の行動を、親族や知人が非難したくなる気持ちもわかる。「何もしていないくせに、大変そうに装うな!」という憤りがあるだろう。少なくとも、大分の親族とこのような泥試合になる前に、密にコミュニケーションを取る必要があったことだけは確かだ。

 会見でも繰り返し訴えていたように、小室哲哉自身が耳鳴りなどの体調不良を抱えていることもまた事実だろうが、直接の話し合いでないにしても代理人を立てるなどして、今後の見通しを話し合わなければならないだろう。さすがにこれは、目を背けてはいけない局面ではないだろうか。

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。