安倍昭恵がどれだけスピリチュアル問題で批判を受けてもメゲない理由

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 安倍昭恵氏は異端のファースト・レディと呼ばれ、それは自由にどこへでも一人で出向くからだとされている。本人も自覚しており、2015年に上梓した著書『「私」を生きる』(海竜社)では<周囲の声はあまり気にしていません><私は私でいい><私が口を開くことによって、本当は内に秘めていた思いを言える人たちが出てくるのではないか>と力強い。ちなみに安倍首相と意見が食い違い、議論に負けて<いきなりワッと泣き出してしまった>ことがあるそうだが、最後に昭恵氏は「だって、神様はそんなことを望んでないもの」と言ったそうである。言いたいことを自由に発言できる空気であることは重要だが、なんでも言えばいいというものではない。

 同書の冒頭で彼女は、<自分のなかに裏づけがないままに、誰かの考えを“受け売り”するようなことは、もうやめにしよう。何かを見聞きしたら、一度自分のなかに落とし込むことをしなくてはいけない>と大学院で学んだと綴っている。つまり、ニセ科学による様々なスピリチュアル、“波動”や“胎内記憶”、“KAMIスタイルについても、彼女は自分自身のなかに落とし込んで納得したうえで共鳴しているのだろう。そして昭恵氏自身は、どのような類の批判に晒されても、彼女が自由に活動することを咎められているだけだと感じ、ますます「メゲない」のではないだろうか。不毛だ。科学的な事実はどうでもよく、信じたいものを信じる。その姿勢を批判しても届きはしないだろう。

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