結婚?出産?二人目?三人目? どこまで到達すれば女としての“任務”を全うしたことになるのか

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いくつになっても独身でいれば「結婚は?」と聞かれ、結婚すれば「子供はまだ?」と聞かれる。無事出産したらしたで間もなく「二人目は?」。第二子を出産して、男児・男児と続けば「女の子も欲しくない?」などと、今ここに存在しないことばかりを尋ねられる。

決して珍しくないことで、言う側もべつに悪気があって言っている人ばかりではない。相手の現在の生活を主軸としたコミュニケーションを図ろうと考えているならば、自然っちゃ自然なのかもしれない。

わかってる。わかってるんだけど、私はこのテの投げかけがとても嫌いだ。

「久しぶりね」「お元気ですか?」程度の挨拶だと思えば何てことないハズなのに(日常生活に支障をきたすレベルで身内にチクチクやられるわけじゃないし)、結婚や出産をするずーっと前から苦手だった。

22歳を超えた頃から徐々に「結婚は?」ワードが降りかかるようになってきたし、それこそ年に1度やってくる「そろそろ結婚かな?」なんて書かれた知人からの年賀状は憂鬱そのものだった。

そんな私にいま、新たな難関が立ち塞がっている。結婚し、一人の子供を出産をした私に投げかけられるいまのテーマと言えばやはり「二人目問題」である。

以前にも書いたが、あの頃よりずっといまのほうが周囲の「二人目は?」発言が前のめりでリアルだ。

私の友人も、第二子を出産したのは大体上の子が23歳の頃が多いし、私自身が二人目を考えるのならまさにそろそろがタイミングなんだろうな、と思う。だから周囲の発言がやけにマジなものに感じてしまうのかもしれない。

私はあと数日で37歳。出産を望むなら「いつか」「そのうち」「気が向いたら」なんて言える年齢では少なくともないし、長男も2歳になったところなので、世間の標準的に「二人目は!?」の圧が強くなるのもわからなくもない。

二人目、私は欲しいんだろうか

長男を産んでから最初の1年は、二人目なんて冗談じゃねぇと思っていた。出産の時の痛みや、産後の体調不良、母乳の悩みなども大きな要因だったが、好きだった友人からのマウント行為にも打ちのめされた。比べられ、見定められ、そんなのもう一回で十分だと思っていた。

それに出産前、経産婦の友人たちの「出産は痛いけど、赤ちゃんの顔見たら痛みなんてすぐ忘れちゃった」「子供は可愛くてすぐ二人目欲しくなっちゃうよ~」なんて聖母めいた言葉を鵜呑みにしていたから、産んでも痛い記憶しか残らなかったり(むしろ恐怖は増していった)、息子は煩い・振り回すで“可愛い”なんて(当時は)到底思えなかった私は“母親不適合者”なんだろうと勝手に自分にレッテルを貼っていた。これをもう一回繰り返しながら、また母乳で悩んだり周囲に面倒なことを言われたりするなんて考えたくもなかったのが事実だ。

でもそれから更に1年経ち、今は二人目の子育て云々というより、誰より愛おしい息子がお兄ちゃんになった姿も見てみたいと思うようになった。「あれが嫌だから」「これが嫌だから」のハードルは相変わらずあるが、突き詰めて考えればたぶん、二人目は「欲しい」んだと思う。

でももっとゆっくりじっくり考えてもみたいし、日々成長著しい息子と色々なことを全力で共にしたり、その中で息子の成長とだけ向き合っていたいから、大幅に生活の制限がかかる妊婦にはまだなりたくない。

でもあと3年で40歳。妊娠期間の約1年間を踏まえると私にはあまり時間がないのも事実。こうして「でも」が続いていく。

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