実母の孫育て願望
この問題を考えるとき、私にとってメインとなる登場人物の一人が実の母だ。
私は未婚のとき「結婚はするかもしれないけど、子供は欲しくない」と母に公言していた。昔から子供が苦手だったし、子育てをする自分なんて想像すらつかなかったから。
でも、一人娘の私が出産を拒否した場合、母は一生「お祖母ちゃん」にはなれないわけで、孫を望む母には「一人でいいから産んでよ~!お願い!」と懇願されたりもした。
実際、私が妊娠を告げた時は泣いて喜んでいたし、長男が誕生した後も日々身を削って一緒に世話をしてくれ、今でもとんでもない溺愛ぶりだ。それゆえなのか、母は私が産後間もない頃から「もう一人孫がほしい」欲が高まっていき、長男が2歳になろうとしている今、切実に二人目の孫を望んでいる。
同じ幼子の世話とは言え、それが実子と孫とでは種類が全く違うのだろう。一応私を一人育てているにも関わらず、お祖母ちゃんとして孫と向き合うのは手探りで戸惑いの連続だったそうだ。それでも様々な経験をし、母なりの“お祖母ちゃんスキル”を身に付けた今、今度はそれらを把握した上で改めて孫を育ててみたいそうだ。
その気持ちはわからないでもない。私も自分なりの”母親スキル“を身に付けた状態で赤子の世話に再度チャレンジすることに興味はあるし何より長男が弟か妹の世話を懸命にする姿なんて、想像するだけで幸せだ。でもそれはあくまで切り取られた部分の幸せであって、実生活にしようと思えば、負担だらけだ。
ある日、母と酒を飲む機会があり、二人目を懇願されたので、私は真剣にこんなことを話した。
二人目を産む場合、私はもう帝王切開が確定してる(一人目帝王切開だったため)。どんなお産もラクはないけれど、帝王切開の場合一般的に産後の回復には時間を要すという。もちろん人によって自然分娩でも回復が遅い人・帝王切開でも回復が早い人は居ると思うが、私の場合傷の痛みと特に貧血が本当につらかった。今でも湿度によって傷が痛むし鉄剤を常用してないとすぐ倦怠感で寝込んでしまうし、年齢が上がった二人目の出産後、回復にどれぐらいかかるかわからない。
ちなみに、私の言う「回復」とは「社会復帰」のことだ。我が家は共働きしなければ家計は苦しいし、二人目の子を設けたとすれば一人目の時よりもっと早い段階で勤めに出なければ経済的に厳しい。
長男誕生後は半年で社会復帰したが、不眠と貧血ですぐ倒れるしまじでキツかった。一人目だろうが二人目だろうが夫の給与が変動するわけじゃないので、今度は一人目の産後よりも早く(回復がままならない状態で)社会復帰しなきゃならないだろうし、しかも赤子の世話に加えて今度は(まだまだ手のかかるであろう)長男の世話も同時進行しなきゃならない。私の年齢は上がって体力も落ちてるのに、だ。一人目だって十分キツかったのにこれだけですでに3項目ぶんハードルが上がっている。
もう一つ。夫は去年職場が異動になり、現在片道2時間以上かけて通勤していて、帰宅はいつも23時ごろ。現在家事はほぼ100%私がやっているし子育てだって一人目のとき以上に全面的に私がやるしかない。産後間もない私にそんなのコンプリートできるわけない。簡単に一人目、二人目、とは言うが、ハッキリ言って、我が家に取っては一人目と二人目の出産は私にかかる負担が何倍も違う。
こういったことを順序立てて淡々と説明したが、「手伝うから」「自然分娩すればいいじゃない。大丈夫だよ」とお話にならない。
感情的になったら負けなので、私が二人目を出産する場合の環境的条件を伝えた。
・夫の職場が近場になり、夫の時間的・体力的余裕ができて家事の多くを担ってくれる環境になる
・宝くじで大金が舞い込んできて、私が数年働かなくても大丈夫な金銭的余裕を得る
・母が仕事を辞め、二人の子育てに全面的に協力してくれる(但し母の生計もあるのでこれは困難)
いずれか1つだけでも状況が整うのなら、それから初めて前向きに考えるかもしれない。でもこればかりはいつどうなるかわからないし、これから何かほかに打開策が見つかるかもしれない。
少なくとも今の状況で、近い将来の大きな不安を抱えながら妊娠・出産に挑む気はない。出産の年齢的限界があるとしても、だ。
そりゃ“産んでしまえばどうにかなる”説は確かに間違ってないかもしれないけど、ヒーヒー言いながら般若面でカリカリしながら生活するのなんて私は嫌だ(それが普通の子育てだと言う人もいるけれど)。
二人目、三人目と出産し子育てしている友人が何人もいるが、そりゃー経験してない私が想像するより遥かに大変だったに違いないだろうけど、彼女たちには彼女たちなりの納得できる形があるんだと思う。
私はいま、せっかく子育てが楽しいと思えるようになってきたからこそ、やっとゆとりを持てるようになってきた今の自分でこれからの長男とだけ向き合うのも決して悪くないと考えているし、自分を環境にねじ込むんではなくて、自分らしくいられる整った環境があって後から状況が付いてくるのが私に取っては理想の子育てだ。
夫もまったく同じ考えで、私も夫も長男が一人っ子だとしてもそれを「諦め」だとか「不足」だとは全く捉えていない。世間では一人っ子家庭に「何で兄弟作らないの?」と問いかけがちだが、決してマイナス要因なんかじゃなくこういったプラスの理由で「子は一人」と“決めて”いる家庭も結構あるんじゃないだろうか?
こんな理想論を淡々と、母に語った。まぁ母は兄弟がいることがデフォルトだとか長男が可哀想だとかそんなことではなく、単純にもう一人孫が欲しいだけなのだけど。
私があまりに熱心に語るので、母は「まぁ、そのうちね」と収束に向かうような言い方をしたが、私はそれすら「うーん、そういうことじゃないんだよなぁ」と納得がいかなかった。
「そのうち産む」なんて言ってないし、「そのうち前向きに考える」とも言ってない。そんな時が来るかどうかすらわからない。産む本人の私にすら「わからない」のだから、仕方ない。
「次の子を前提にした生き方・考え方はできないから、“そのうち”なんて期待を含めた言葉投げないで」と伝えたら、母は(少し酔っていたのもあるけど)泣き出してしまった。
「今は元気に育ってるT(息子)を一緒に見ていこうよ。その中で次の何かが見えてくるかもしれないし、見えないかもしれない。それでいいじゃない」と慰め半分で告げたが、「もういい、もう言わないよ」と涙ボロボロ。
子どもの頃から母にはとても感謝しているし、私のために人生の多くを費やしてくれた母に少しでも恩返しはしたい。一度でも喜ばせてあげられる何かがしたい。悲しませたくない。常にそう思って生きてきた。私、こんなに元気な孫産んだじゃない。私だって子育て頑張ってるじゃない。なのに、母は傷ついて泣いている。
完全に私が悪者のような気がして、物凄く追い詰められた。親孝行したつもりだった私のほうが泣きそうで、行き場がなかった。