結婚?出産?二人目?三人目? どこまで到達すれば女としての“任務”を全うしたことになるのか

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正解とされるゴール地点なんて存在しない

先日、古くから親しくしている母の友人Kさん(子が3人・孫が6人居る)に会った際、案の定「二人目は?」と聞かれた。

平然を装いながら「今は考えられる状況じゃないスね~」とソフトに返すと、ややかぶせ気味に「なんで~! T(息子)ちゃん兄弟いないなんてかわいそうじゃない」と言われた。

私が子を産もうが産むまいがKさんに迷惑をかけるわけじゃないし気にしなきゃ済むことなんだろうけど、この先いったい何人の人にどれぐらいの期間言われ続けるんだろうと思うと憂鬱だ。

40歳を迎えていよいよ出産のタイムリミットが近づいてきた頃となれば「早くしないと間に合わないよ!」とか急かされたり、いざもう産めない年齢になったらなったで息子の成長についてちょっとネガティブな発言をこっちがすれば「ほら! 兄弟いないからだよ」とか言われるんだろうか。まるで私が落第者みたいな不毛な扱いを受けるのは納得いかない。

結婚は? 出産は? 一人目は? 二人目は?……と、この人たち世間は一体どの地点を“ゴール”と認定しているんだろう。

スタンプラリーじゃあるまいし、個々で理想的な人生は異なるしもちろん理想として望んでいても結婚や出産は思い通りに進まないことだってよくある話。それに計画通りにせよ予定外にせよ、人生の大きな判断を“自分でする”機会は何も結婚や出産の場面だけじゃない。

たとえば目指してた職業に就けなければ何年も勉強しながら機を待ったり他の職を探すだろうし、望んで入社しても新たな方向が見つかり転職することだってこの世にはごまんと存在する。そういった選択は個人の「ライフスタイル」として認定されるやすいのに、結婚や出産にばかり段階的な正解を押し付けられるのは納得がいかない。

ひたすらキャリアを磨いたり、夫婦二人の生活を楽しんだり、単独の我が子と向き合ったり、子だくさん家庭を作ったり……それぞれが(いま選択している)答えがあっていいハズだし、どれも不正解なんてことはないだろう。

満足度はそれぞれ異なるかもしれないけど、少なくとも他者が判断できるようなことではない。

かと言って、Kさんとのやり取りのような場面でこのような主張を淡々とすれば「はいはい、意地張っちゃって」とか「何ムキになってんだか」と思われるだろうし、ヘタしたらこっちが変わり者扱いだ。

私が今もし二人目妊娠を否定したのち、結果的に二人目を出産し「ほら産んでよかったでしょ?」「だから言ったじゃない」とか周囲に言われるのも腹が立つ。何故他者が正解を決めるんだろうか。そうじゃなくて、“今”の選択を常にし続けているだけだ。

私はいま現在は「二人目が欲しい気もするけど、現実問題厳しい」という選択をしているが、1カ月後は違うかもしれない。

あくまで「1カ月後は前向きに二人目を考えられるかもしれない」というような、「二人目がゴール」「今は途中段階」などとしているわけではなく、今は今で100%満足している。

これで終わってもまったく構わない。今よりもっと理想的な生活を送れるかもしれないと判断した時に二人目の妊娠を望むだろう。

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