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『この世界の片隅に』実写ドラマは、あの戦争をどう伝えるのか

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『この世界の片隅に』(TBS)番組ホームページより

 71521時より、連続テレビドラマ版『この世界の片隅に』(TBS系)が放送される。こうの史代による原作漫画を片渕須直監督がアニメ化した映画版『この世界の片隅に』(2016年公開)は、63館の小規模で公開が始まるも、口コミで話題となっていき、最終的には興行的にも批評的にも稀に見る大成功をおさめた(興行収入27億円、第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門1位)。

 連続テレビドラマ版『この世界の片隅に』には、原作漫画にもアニメ映画にも存在しない、完全オリジナルの「現代パート」というものが付いていると告知されており、これが吉と出るか凶と出るか。他にも色々と気になる点はある。

 まず注目したいのが、白木リンの扱いである。白木リンは呉にかつて存在した朝日遊郭で働く遊女。主人公・北條すずが闇市に買い出しへ出た帰りに迷子になり、たまたま朝日遊郭の一角へ辿り着いてしまったことから交流が始まる。

 アニメ映画版では、この出会いのシーンが描かれるのみで、その後の物語にはほとんど登場しない。しかし、原作においてリンはその後も登場し続けるとても重要なキャラクターだ。

 実は、リンはすずの夫である周作の元恋人で、結婚話に近いものまでもち上がったことがあると語られる。伯母が<好き嫌いと合う合わんは別じゃけえね 一時の気の迷いで変な子に決めんでほんま良かった>とボヤくシーンもあった。

 リンと周作の過去はちょっとしたきっかけからすずの知るところとなる。子どもがなかなかできないこと、すずが付き添っていながら姪の晴美を焼夷弾の爆発で死なせてしまったこと、その爆発ですずも右手を失い家事をこなすことができなくなってしまったことなど、様々な事情が重なりすずは嫁ぎ先の家での居場所を失っていく。追いつめられていくすずの心には、リンの存在とリンに向かって抱く嫉妬の感情も渦巻き、物語のなかでリンは大きな役割を果たす。

 アニメ映画版は基本的には原作漫画に忠実につくられているが、白木リンの扱いは最大の改変点といえる。連続テレビドラマ版では二階堂ふみが白木リン役を担当するが、どのような描かれ方になるのだろうか。

 そして、もうひとつが、「加害責任」の描かれ方だ。

 玉音放送を聴いた直後、すずは水汲みに行き、道中で倒れ込みながら涙する。その道すがらには終戦を受けて朝鮮の独立旗が掲げられているのだが、それを横目にすずはこのように独白する。

<暴力で従えとったいう事か じゃけえ暴力に屈するいう事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ……>

 アニメ映画版では、玉音放送を聴いた後に水を汲みに行くところまでは原作漫画とすべて同じだが、朝鮮の独立旗を横目に語るモノローグのセリフがこのように変更されている。

<飛び去っていく、うちらのこれまでが。それでいいと思ってきたものが。だから我慢しようと思ってきたその理由が。わぁ、海の向こうから来たお米、大豆、そんなもんでできとるんじゃなあ、うちは。じゃけえ、暴力にも屈せんとならんのかね。あぁ、なんも考えられん。ボーッとしたうちのまま死にたかったなぁ>

 このようなセリフになっている理由について、片渕監督は<すずさんは当時食べていたお米の何%が朝鮮米か台湾米かを知っていた。あるいは、お米がなくなった代用食として入ってきた大豆は満州産だった。だから、自分は海の外から来たお米でできていると言った方が、すずさんらしさがより出るかな、と><今までご飯を作ることで彼女が存在意義を持っていたんだとしたら、彼女はそのことを認識すべきだということで、このセリフになっているんです>(ニュースサイト産経ニュース20161126日付)と説明している。

 原作漫画はすずのセリフを通して読者に日本の加害責任を意識させる、一方、アニメ映画ではすずが過ごして来た戦中の生活のリアルにフォーカスした。細かい違いだが、セリフの変更により、このシーンが発するメッセージはかなり違ったものになっている。連続テレビドラマ版は果たしてどちらのアプローチをとるのか。そもそも、論争を避けるためにこの場面で朝鮮の独立旗を出すことを避ける可能性もなくはないが、どうなるか。

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