
トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた
先日、お茶の水女子大学がトランス女性を受け入れる方針を明らかにした。女子校に新しく男性が入れるようになったのではなく、女子校にすべての女性が入れるようになったという「だけ」の話で、おそらく該当者が年間数人いるかいないかであろうかといった「だけ」の話なのだが、なんだかおおごとになっている。
産経新聞は13日付の社説で、トランスジェンダーに配慮すると男性らしさや女性らしさが否定され、女子大の伝統が破壊される可能性さえあると批判。見出しは「男女の否定につなげるな」。わお、お茶の水女子大学に一体何割のトランスジェンダーが入学しようしていると思っているのだ、このデスクは! と恥ずかしくなる大風呂敷だが、何となくイチャモンをつけておきたい人たちは一定数存在するのだろう。トランスを知らない人ほど眉をしかめてあれこれ言うが、その横ですでにトランスたちはひっそりと暮らし、しれっとトイレで用を足している。日本中の女子校には同性カップルがいるし、卒業後に男性として生きている人もいる。すでに女子校には多様性が存在してきた。今に始まった話じゃない。
個人的には、今回のニュースは、あまりおおげさに捉えなくてもいいのではないかと思っている。もちろん大学側は勇気がいっただろうし、たくさんの時間を費やして合意形成してきたのだろう。でも、女性のための大学には、これまでも様々な国籍や民族、体の状態、性的指向の学生がいただろうし、そもそも私みたいなトランス男子も女子校出身者にいたりするわけで、多様性の尊重はこれまでも課題だった。「こんなときはどうするの」「あんなときはどうするの」という外部からのピンボケな質問が、いつか「あんなこと言われてたねー」という笑い話になる日が早く来ればいいな、とささやかながら願っている。2018年の社説が、いい歴史的資料になればいい。
それでも「万が一にも女子校に男がまぎれて入ってきたらどうするんだ」と茶化している人がいるようだから、かつて女子校にまぎれてしまったトランス男子として、現在、お茶の水女子大の受験を検討しているらしい百田尚樹さんにアドバイスをしておきたい。まず、男が女子校に入ると「履歴書」で苦労する。男として就職活動をしようと思っても、学歴に女子校の名前を書かなくてはいけないので、必ず質問されるのだ。女子校に行けばモテるのかといえば、女子たちも人間を見ているのでなんともいえない。色恋の数が「永遠のゼロ」と言うこともありえる。ただ、バレンタインデーだけは最高だ。男とか女とか好きとか恋愛とか友情とか、どうでもいいくらいにチョコレートが飛び交って、性別や世間のしがらみから離れた世界がどれだけ開放的なのかが、ほんの少しだけわかるから。
共学での女子は、男子と対になって語られる「女子」であることを、私は女子校を卒業した後になって知った。女子校の女子は、ただの人間だった。女子校とはかくあるべき、と言う産経新聞デスクからの決めつけや、男たちのファンタジーから独立するために女子校は存在する。女子校とは、自分たちの存在意義を自分たちで決められる学校である。自分たちの手で、トランス女性にも門戸を広げ、21世紀に即した女子校のあり方を提示したお茶の水女子大学は、その意味で最高にクールだ。おおげさにしたくない、と冒頭で書いたが、やはり拍手を送りたい。