社会

なぜ翻訳でステレオタイプな「女ことば」が多用される? 言語学者・中村桃子さんインタビュー

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エンブレムとしての女ことば

――『女ことばと日本語』を読んでいると、女ことばの地位がそのときどきで、学問や政治によって、都合よく上げ下げさせられていたことがわかりました。その一方で明治時代に、「女には男とは異なる役割がある」という規範に抵抗し、主体的にアイデンティティを主張するために、一部の女学生が「てよだわ言葉」を使ったのでは、という推論も興味深かったです。

中村:女ことばの前身の「てよだわ言葉」はすごく批判されていました。その後、戦中期に日本が東アジアを植民地化していたときに、「日本語を使え」と同化政策をするんですよ。なぜ強制するかというと、多くの文学者がその時代に言ったように、日本語は女ことばと男ことばの違いがある世界でも稀に見るすばらしい伝統ある言葉だから、なんです。

――ここでも、何が価値があり、何がそうでないか? という価値づけや歴史の取捨選択の決定権が、男性中心の学者などに握られていることが明らかにされていきます。一方で、現代において、経済的に恵まれてて、学歴もあって、社会的ステータスも高い女性が「女ことば」を話す傾向にある、という個人的な印象があります。

中村:戦後、女ことばは国語の教科書にも登場するようになったんですが、地位が上がったんですね。そうして規範になっていった。価値が上がることによって、武器として女ことばが使う人も出てきたんですよ。現代においてインテリ女性は、社会において高い地位にいて、良い思いをしている人たちですよね。

――特権的ということですね。

中村:そういう人たちが、男性社会で渡り合っていかないといけないときに、二つ見方があって、「男と同じになる」という場合と、「女性の意見」「女性ならではの視点」「母親の視点」という地位を利用する場合があると思います。会社など一般社会でも、政治家の立候補の文句に使われたりもしますよね。そこで、「女ことばを武器として使う」という人もいるんじゃないでしょうか。

――あえて「女らしさ」というジェンダー規範のイデオロギーに与するということでしょうか。そのために「女ことば」が使える、と。対して、明治時代に女学生が主体的に言葉づかいを作っていったという現象に近いのが、現代のギャルことばなのかな、と考えました。

中村:おっしゃる通りだと思います。先ほど女ことばの地位が上がったと言いましたが、その言葉づかいを採用することが、社会的地位の高さを示すエンブレムになったんですよね。女ことばの発祥のもとは明治の女学生ではなくて東京の山の手の中流女性、奥様の言葉づかいだという研究発表がもてはやされた時代があったんですが、私はそれを『女ことばと日本語』で否定的に実証したんですね。当時、研究者がろくにデータも集めず検証せずにそういうことを言ったものだから、エンブレムになったんですよね。

――事実に反するのに、研究者が言ったからお墨付きを得た、ということですね。

中村:また、自分の属する状況やコミュニティに応じて、仲間うちのエンブレム、「メンバーであること」を表現する材料として、女ことばを使っているかもしれませんね。子供のころと大人になった自分はちがうし、学生と話してる私と友達と話してる私もちがう。所属するコミュニティによって言葉づかいって変わるんですよ。言葉づかい概念にくっついている価値に基づいて私たちは判断し、使い分けている。普段は粗雑な話し方をする女性が就活の面接ではそれでは試験を通りにくいと判断して女らしい言葉づかいをする、男尊女卑な親の前では女らしい言葉づかいする、など判断してきた、みたいに、いろんな要因を考慮して使い分けていると、私は考えています。

女ことばの経済性

――テレビドラマや映画などのフィクションで、子どものキャラクターに女ことばがまぶされていると、特に違和感があります。また、以前わたしは、ある白人女性俳優のインタビューをした際、「です、ます」調の丁寧語で書きました。まじめに演技論を話していて、知的な方だったから、傍若無人なタメ口にしたり女ことばにするのはちがうかな、と判断しました。しかし、別の女性向け雑誌では、同じような内容の答えなのに「だわ、かしら」と典型的な女ことばで、その落差に驚きました。

中村:今、若い子がどれくらい女ことばを使うか? という調査をした研究があるんですが、ほとんど話さない、「かしら」「だわ」は死語だと。日本の多くの人たちは地域語、つまり方言を話してますしね。女ことばは標準語ですから、話さないという人も、周りに話している人がいないという人も、ほとんどですよね。媒体にもよりますが、オリンピック報道の際に新聞記事で、日本人女性の選手は話した通りの口語で掲載されているけど、外国人選手は女ことばになっている、というのもありましたよね。

――翻訳者が無自覚に、手癖で女ことば翻訳をしてしまうのでしょうか?

中村:翻訳がつくる日本語』でも紹介したのですが、翻訳や字幕をされてきた方々にインタビューした際、本書で取り上げた『ハリー・ポッター』のハーマイオニーという少女の話し言葉翻訳について、全員が「女ことばに訳されている」と認識されていました。じゃあ、なぜそうしたのですか? と尋ねると、実際生きている日本人の少女の話し方のように訳してしまうと、「違和感がある」と。言われてみると、私もそう思うんです。プロの翻訳家の方が何を基準に決定するかというと、読者が違和感を持たないということがひとつあると思います。それから、依頼してきた映画の配給会社や、小説などの出版社からクレームがくるケースもあるんじゃないでしょうか。仕事ですから、断れないと。

――そこには、女性は女ことばをしゃべるはずだ、しゃべらなきゃいけないといった規範があるのかもしれない。ある種の定型から外れる感覚を覚える、ということで、改変の判断がされることもあり得るわけですね。

中村:文学においては、そうやって役割語を当てることを「ステレオタイプの経済性」って言うんですね。一言読んだだけで、その話者がどういう人物か理解できる、という方が効率的ということです。黒人の語りに「黒人らしい英語」をわざと当てる、というフィクションの世界の常識に対する指摘を、ノーベル賞を取られたトニ・モリスンさんがされてます。あとは、女性がみんなずーっと女ことばを話すフィクションに私たちが生まれてからずっと接してきた影響もあるんじゃないでしょうか。なぜ私たちは「女ことばが存在する」と知っているかと言うと、フィクションや、実在の外国の方の翻訳、吹き替えで女ことばが使われてるからなんですね。「日本の伝統的な女ことば」を守ってくれているのは、なんと外国人女性だったと(笑)。そのあたりは金水敏さんという方が「役割語」と名付けて、本も書かれています。金水さんは「女ことばも役割語だ」とおっしゃっています。

――以前、『ボーイズ・ドント・クライ』というアメリカ映画で、主人公のいとこのゲイ男性が、特にオネエ的なふるまいや語り口ではないのにその字幕翻訳がオネエことばにされていたことの違和感を、wezzyに書いたことがあります。これも、「オネエ的なもの」が一般への認知が強いため、わかりやすい=効率的、経済性が高いから採用されたのかもしれないということでしょうか。

中村:これも役割語と関わりますよね。ゲイの方だって、いつだって誰だってオネエことばを使ってるわけじゃないですよね。マヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』(集英社文庫)という小説の翻訳で、(トランスジェンダー女性である)主人公がオネエことばに野谷文昭さんが訳されてたんですね。はじめは男ことばでもない、一般的な口語に訳したけれど、彼女のキャラクターが表現できてないと感じて、一部オネエことばに変えたそうなんです。とても工夫されたとあとがきに書いていました。

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