社会

プラスチック製のストローでなければならない理由もある~環境保護と障害者の必需品

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曲がるストロー

 批判を受け、ニューヨーク市議も条例では全廃にするのではなく、リクエストがあればストローを出すとしているが、プラスチックでなければならないことには思い至っていなかった模様だ。昔懐かしい紙のストローに戻ろうと語ったニューヨーク市長も同様だろう。デブラシオ市長は妻が黒人、ふたりの子供は人種ミックス、かつ長女がゲイであることから人種問題、LGBTQ問題についての知識と理解を示す。しかし、どんな人物もすべての問題を網羅することはできない。ストロー問題は周囲に障害者がいて、かつコールド・ドリンクを一緒に飲んだ経験がなければ到底分からない問題だ。

 筆者の夫には脳性麻痺によって車イス使用の親戚がいる。つい先日、7月4日の独立記念日にも我が家に遊びに来た。手の筋肉も弱いが、軽いプラスチックのカップであればジュースを入れて持ち上げることはできる。しかし手首が安定しないため、カップから直に飲むことはできず、ストローが必要だ。まっすぐなストローは使いづらく、曲がるストローのほうが便利。また、プラスチックや紙のカップも薄すぎるものはうっかり強く掴むとグシャリと潰れる可能性がある。そこで使い捨てではなく、ピクニックなど屋外で使うためのやや厚手のプラスチック・カップを用意している。

 こうしたことを筆者も結婚してこの男性を家に招くようになるまで全く知らなかった。ただし、障害のコンディションは人によってそれぞれ異なるため、今もこの男性の特性しか知らない。彼はカフェインを摂らないよう医師から指導されているためにコーヒーや紅茶を飲まず、したがって温かいものをストローで飲む人がいることは今回の件で、初めて知った。

「見えない問題」を知る

 ストロー問題は、オバマ元大統領による最高裁判事の指名を思い起こさせた。任期中に欠員が出て初の指名をおこなうこととなった際、オバマ元大統領は「マイノリティを指名します」と予告し、最終的にヒスパニックの女性判事、ソーニャ・ソトマイヨールを指名した。

 最高裁の判事の指名は保守派か、リベラルかによって米国の行く末を大きく変えるが、同じリベラルであっても昔のようにエリート白人男性の独壇場であっては視点や判決が偏る。例えば、中絶問題を女性抜きで語る不条理、移民問題を移民抜きで議論する不条理、貧困につながる諸問題を富裕層出身者のみで討論する不条理。そこには当事者、もしくは当事者を知る者にしか見えない問題が必ず潜んでいる。

 したがって最高裁にせよ、市議にせよ、メンバーに多様性を持たせることによって視野は広がり、より広範な問題に理解を示せるようになる。とはいえ、人数が限定されている場にすべてのマイノリティ(人種、民族、性的、障害者、etc.)を含めることは不可能だ。

 では、どうすればいいのか。最高裁、市議、民間企業であるスターバックスに至るまで、常に「我々には見えていない問題もあるはずだ」と意識しておくことではないだろうか。

 今回の件を例にとるなら、ウミガメの映像によってストロー問題への関心が高まると、メディアが海洋生物へのダメージ、ストローの生産と廃棄のデータ、リサイクルの仕組みなどを報道し、問題への認知がさらに高まる。やがてプラスチック製ストロー廃止を目指す運動が起き、行政や企業が動き出す。その際、行政も企業も問題そのものに加え、「問題提起→改変の動き」があることを広くPRすると良いのではないだろうか。今回のように提案者がまったく思いもしなかった方面から、思いもよらない理由による反対意見、もしくは見直し案が出されることもあるだろう。その声を聞き、障害者グループとの対話を確約したスターバックスの姿勢は賞賛に値する。

 現在の流れをみる限りでは、プラスチックに勝る代替物が考案されるまでは、店舗では客からのリクエストによってプラスチック製ストローを出し続けることになるのではないかと思われる。だが、障害者側はそこを「100%明確」にしておきたいのだ。他の事案にみられる「大手チェーンではこうだが、個人商店では異なる」「条例により大規模店舗にのみ課せられる」「飲食店以外は免除」などといった曖昧さでは済まないことだからだ。

 たとえば映画ひとつにしても、健常者のように気が向いた時にふらりと観に行けるわけではない。混まない曜日と時間を選び、車イス用の席を確保し、交通手段も手配して、やっと映画館に行ける。そこで映画を観ながら飲もうとジュースを注文して、「当館ではストローを置いていません」と返されたら……。これでは楽しみが台無しになるだけでなく、「私たちはこういう扱いをされてしまうのか」と、大きな疎外感も植えつけられてしまう。これと同じ理由により、シャピロ-ラックス氏は「マイ・ストロー」の持参も良しとしていない。ストロー問題は健康にもかかわる物理的不便さだけでなく、マイノリティとしての精神性にもかかわる問題だったのだ。

 世の中には多くの問題があり、それぞれの人が、それぞれの立場と関心から特定の問題解決に取り組んでいる。ところが現代社会ではあらゆる事象が複雑に絡み合い、双方、目指すものは何かしらの向上でありながら、時には利害が相反する。ここで衝突をせず、お互いの主張に耳を傾け、双方が妥協をし、かつ最終的に求める地点に到達するのは至難の技なのかもしれない。それでも双方ともに諦めずにチャレンジする。これはアメリカの良い点に思える。
(堂本かおる)

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