子持ち女性と子なし女性の友人関係 温度差は永遠に払拭できないのか?

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育児日記

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 先日、友人E(未婚女性)と二人で会った時、ふと彼女がこんな愚痴を言っていた。

「最近、よく会う中学時代のグループの子たち(全員既婚・子あり)といると、つまらない」

 彼女は私と同じ36歳。グループの友人たちとは、若いころから年に何回も会っては色んなことを語りながら酒を飲み楽しかったようだが、最近の話題はほぼ子育て系が中心とのこと。「保育園の先生がこうこうで……」「イヤイヤ期の娘がこうこうで……」他にも予防接種が健康診断が、と子育てをしていない人からすればあまりピンとこない話題で延々と盛り上がっていたらしい。

 単に話題が合わないということだけでなく、未婚のEはまるで一人置いてきぼりにされたかのようで居心地が悪かったらしく、次回からは参加するのをやめようかな……とぼやいていた。

 中学の同級生ということは、もう親しくなって20年以上になる。性格や考え方、個性を認め合いながらずっと関係を築いてきたんであろうし、生活が変わった今だってべつに人間が変わったわけじゃない。

 なのに皆が結婚し母になった途端、話題が子育てに関することばかりになり、独身のEだけが疎遠になってしまうとしたら何だかとても悲しいことだ。

 独身時代の私は正直、子供が居ない立場で聞く「子供関連の話」ってくそつまらない、と思っていた。「先月〇歳になったよ」とか「やっと話すようになったんだ~」とか、近況報告程度なら素直に聞けるし反応もできるけれど、それこそ習い事がどうのとかママ友がどうのとか、そういった話を聞かされても楽しくもなんともない。そういう話題で母親同士が長いこと盛り上がっている場に同席するとちょっとウンザリだった。

 お互い独身だった頃は、面白いことやつまらないことをある程度同じ温度で共有できて、その時々で生じる温度差にも気を配りながらコミュニケーションできていたのに、その温度差に気付いてくれないのも、その子が育児スタートによっていきなり別の人間になってしまったかのように思えて妙だった。

 しまいには「A(私)も早く(出産)ね~」なんて言われた日にゃ「どうした!?」と耳を疑った。

 でもきっと相手に取っては子供の存在が「生活の第一位」なわけで、常に子供と共存しているのが「普通」なのだ。そんなに自身の多くを占める部分を友人と一切共有できないとすればそれはそれで窮屈だし違和感だらけだろう。今なら自分にとって息子の存在がそうだし、そのこともわかる。

 私の場合は昔から、プライベートで遊んだりする友人関係は大体「サシ」が多く、相手との温度差に違和感を感じれば別に関係をいかようにもコントロールできたのだが、前出のEのケースのように古くからグループで付き合ってきた友人関係があったとしたら、私も思い悩んでいたかもしれない。

「子供の写真」を見せられても…

 プライベートでの友人関係はもとより、「今ここだけ」のコミュニケーションの際も、子ありか子なしかでの温度差は頻繁に目にする。特に「子供の写真見せて~!」→「え~かわいい~!」どこででもよくあるこの類のコミュニケーション。

 先日も職場の懇親会で、子持ちの女性の近くに座った人たち(皆独身)がこぞって子供の写真をせがんでいて、スマホの待ち受けにある子供を見るや否や皆満面の笑顔で「かわいい~!」と同じ反応をしていた。

 世の中には子ども好きな人もたくさんいるし、「かわいい~!」の声の中には素直な反応の人も居るんだろうが、私が思うにこの流れはまるでその場にいる全員に課せられたお約束かのようで、同じ反応をしなければ違和感を持たれそうなところが嫌だ。この、興味ある人もいればない人もいる、という本来なら当たり前の事象を完全無視したような儀式が心底苦手である。

 余談だが「他人の子供見て何が面白いの?」といつも言っている男友達は、無反応のせいで「冷たい人」「他人に興味のない人」のレッテルを貼られたようだ。でもきっと「写真見せて~!」とか言っている人だってさほど他人様のことになど興味はないのだと思う。

 子どもがいる人と関係性を築くにあたって「子どもの写真を見せてもらう」→「褒める」が仲良くなる最短ルートと考えているからなんだろうと思うし、彼らのその判断はたぶん間違っていない。相手が心を開きやすいテーマであることは明瞭だ。私も親になってよくわかるが、我が子の存在は生活の主軸だし子供の成長はいちいち一大事だから、そこに他者が興味を向けてくれれば素直に嬉しい。

 そうしたコミュニケーションは一見スムーズに進行しているようだが、子あり側として気を付けたいのは、他者が興味を向けてくれているのはきっと「自分との関係性」であり、「我が子」ではないということだ。

 こういう場面では結構、言われた側(子あり側)は周りの言葉に気をよくして次々写真を見せたり、普段の子どもの成長を長々と話し始めたりするケースになりがちだったりする。これは、会話を盛り上げたい・コミュニケーションを深めたい側からすれば、ある側面では大成功だろうが、一方が冷静に相手との距離を徐々に縮めようとしているのに対しもう一方が“突然”ヒートアップし身内語りを始めるとなると、やはりそこには温度差が生まれ、ひいては埋めがたい溝になりかねない気がする。

 私も独身時代このパターンで「あれ!? こんなにしゃべる人だっけ……」とちょっと引いてしまうこともあった。特に子どもが居ない人に対し、子育て中の人が思いのままで自分のことを話すとなると、温度差が生まれることが多いだろう。

 だって子育て中はそれまでの生活スタイルや価値観を変えざるを得ないこともあるし、それが当然となった状態なら、いかなる場所でも「母としての姿」で居るのが一番楽で、子供の話をしている時が一番自然体な時もあると思う。

 でも他者(特に子供が居ない人)からすれば語り対象が「趣味のギター」だとか「好きな映画」だとかなら「夢中になってんな~」程度かもしれないが、子供のこととなると「身内」にお熱を上げているイタさ、みたいに受け取られることもあるのではないか。ここの温度差を常に肝に銘じてないと、コミュニケーションの際ちょっとした気の緩みで相手に負担をかけてしまいそうで、子なしの人に子供の話をするとき私は結構気を使う。

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