「母親」は「別世界の人間」とは思われたくないから
自分が独身時代、子持ちの友人に対し大きな温度差を感じ、つまらないな~と何となく疎遠になってしまった経験から、母親になったいま、未婚や子なしの友人たちにそうは見られたくないという思いが強い。
相手から子供の話を振られた時には「こんにちは」程度の挨拶みたいなものだと肝に銘じているし、ほかにも様々な場面で子供の存在を「印籠」のように印象づけてしまわないように気を付けている。
昔、プライベートでも仕事でも、子供が居る人の「どうにもならない子供事情」が時に「この紋所が目に入らぬか」に見えて苦手だと感じていたことがある。会う約束をして前々から仕事の調整をつけていたのに当日急に子供の都合でドタキャンしたり、職場で「子供が熱だしたから」と当たり前のような顔で休まれたり。
それ自体は仕方ないとしても、「仕方ないでしょ」のニュアンスを感じざてイヤな思いをすることが多々あったのだ。
私も相手も独身の頃は、プライベートのドタキャンがあったとしても「A(私)も予定空けててくれたのに本当ごめんね~!」のような、こちらの立場に歩み寄った言葉があったり、埋め合わせという形で近日中に改めて誘いの連絡をくれたりしていたのに、妙にこざっぱりしていて、「ごめん~子供が熱出した。また今度!」の一言のみだったり、そこには『そもそも第一優先は子ども、友達は二の次』かのような印象を強く受けたりした。実際その通りだったのだろうし、子どもを後回しにするわけにいかないのは当然だけれど、あからさまに軽んじられていることがわかる態度をとられれば、やっぱり気分が悪い。
私が以前勤めていた職場はシフト勤務制だったので、欠員が出れば他のスタッフの業務量にモロに影響が出る職場だった。当日欠勤は誰でもやむを得ないことだが、体調不良で当日欠勤すれば、後日出勤した時に皆に「迷惑かけてほんとすみません!」という言葉があったり、差し入れを買ってきたりする独身社員がいた。一方で、「子供のことだから仕方ないでしょう」とばかりに、当日欠勤しても周囲への配慮の言葉はなし、直接業務を請け負ってくれた相手にですら何の謝罪やお礼もない社員がいて、私たち(当時)独身のスタッフたちは「またかよ」と常にモヤモヤしていた。
こういう事例、どこでもよくあることなのだと思う。そして“お妊婦様”という言葉を生みマタハラにつながったり、子連れママは傍若無人だというイメージが一人歩きしたりしていく。
今となれば、子供は分単位で振り回してくる(予測できない)生き物だということを理解できるし、朝に突然熱を出すことだって珍しくないから、予定を急にキャンセルせざるを得ない親の事情はよくわかる。その都度、対応をしなきゃいけない母親が大変な思いをしているのは事実だ。当日欠勤なんてしたくないし、友達との約束をドタキャンしたくないし、周りに嫌な思いをさせたくない。どうして自分ばかり我慢しているんだ……と、負の気持ちにからめとられる親もいると思う。
でも、その気持ちってたぶん、独身の人間には伝わらない。どちらかといえば、「仕事(or友人)よりも、子供が第一です」と言われているように感じるのではないか。見事なすれ違いだ。子育ては確かに物凄い労力が必要な大仕事だし、理不尽の連続で心が折れることもあるのだけれど、子育て未経験者からすればそんなのを前面に押し出されてもピンとこないし“不平等だ”という印象しか抱かない。
私も息子の都合で友人や職場に迷惑をかけることがあるから、物理的にそれらを回避することは今後も不可能だろうが、なるべく“不平等さ”は相手の心象に残したくない。息子の都合で相手がくらった不都合さは全力でカバーしたいし、普段から友人への配慮は今まで以上に小まめにしていたい。なぜかといえば、周囲が「子供がいるんだから仕方ないね」と諦めモードになってしまえば、仲の良い独身の友人からは距離を置かれるだろうし、職場でも責任ある業務は任せてもらえないだろう。それが嫌だと感じる私のようなタイプも居れば、“母親”という枠に収まって堂々とできる環境を追求したがる人もいるだろうが。
母親同士だけで付き合いたい人・好きな友人全員と付き合いたい人
子なしの人が子ありの人を遊びに誘えば「ごめん、無理」だけにとどまらず、「今朝も〇時に起きて、毎晩ロクに寝れないし、それがもう〇カ月も続いてるし遊んでられる状況じゃない!」という聞いてもいない苦労話に発展、「私は大変なの! わかってよ!」というアピールを全力でされることもある。それまでは決まったメンバーで集まっていたから一応声をかけただけでも「子供いるんだから夜に外出は無理でしょ」とちょっとキレ気味に返してきたり。
誘った側は決して無理強いしたわけでもないのに“子育てママ様”全開なケースもある。誘わなければ誘わないでまるで除外しているように思われるのも嫌だし、一応メールで声をかけただけなのに「いやムリだから」と絵文字も何もない返信が来て、それ以来一切音信不通になってしまった友人も居た。別に「誘ってくれてありがとう。でも今子供のことでバタバタしてて……また落ち着いたら遊んでね!<m(__)m>」とかでいいのに、何でいちいちトゲを立てるんだろうかと思っていた。
繰り返すようだけれど、そういった態度になってしまっていた子育て中の友人たちは、本当に大変だったのだろうし、追い詰められていた時期なのかもしれないし、決して“子育てママ様ドヤァ”な状態ではなかったのかもしれないと今は想像できる。でも、そこで「私の大変さを分かってよ!」を主張してしまえば、必然と誘いはなくなるだろうし疎遠にもなっていくだろう。私はこれからも独身時代からの友人たち、子なしの友人たちとも付き合っていきたいので、自分がされて嫌だったことをしないように気をつけたい。
今まで親しくしてきた友人とは変わらず親交を深めていたい。むしろ全体的には独身の友人・子供がいない友人とのほうが一緒に居て楽しい。子供関連の話をするときは温度差を間違えないように気を使うけれど、“先輩ママ”にマウントされないように気を使うよりは100倍ラク。
特に私の場合は、産後にある友人から執拗にマウンティングされたのもあって、友人が母親“同志”になると個々の人間性うんぬんではなく「ママ業」としての競争社会になるんだなぁ、と痛感した。つまらないことこの上ない。そういうわけで、母親コミュニティに身を置き、染まりきるのは私には至難の業すぎる。