
左:荻上チキさん、右:あっこゴリラさん
「女の子はラップすんな とかゆう男どもFuck youだ」。2017年6月に発表された「ウルトラジェンダー ×永原真夏」は、ミソジニー(女性蔑視)にはっきりとカウンターを打ち出し、音の上では何もかも乗り越えて全員が平等なのだと宣言した「人間アンセム」だ。歌っているのはあっこゴリラ。ラッパーである。
ヒップホップの現場に色濃くあらわれる差別に異議を申し立て、社会に変革をもたらそうと動くラッパーが今、増えつつある(「フリースタイルダンジョン」でシーンのミソジニーを喝破したラッパー・椿の“人生を使ったカウンター”)。「女らしさ」「男らしさ」の枠に苦しむのはもう終わりにして、「私は私だ」と胸を張りたい――。そんな逆境を跳ね返す意志が、新しい流れを生んでいるのだ。
評論家・荻上チキは、学生時代にヒップホップを愛聴し、数年間ほど遠ざかっていたと話す。久しぶりに聴いたヒップホップには、サウンドの変化に魅かれる一方、政治的センスがなかなか更新されない状況を実感していた。
「呪い」をかける言葉に満ちた社会をいかにサバイブし、いかにアップデートしていけばよいのか? それぞれの立場から問題提起を続ける二人に、フェミニズムや思想の歴史を辿りつつ、新時代の「多様性」について語り合ってもらった。
あっこゴリラの原風景
荻上チキ(以下、荻上) そうそう。実はこの対談のオファーが来たとき、ちょうどあっこゴリラさんの曲を聴いていたんですよ。
あっこゴリラ(以下、あっこ) 本当ですか!?
荻上 そう、すごいタイミングで依頼が来たなと思いました(笑)。僕は大学生時代によくヒップホップを聞いていて、ここ数年は少し遠ざかっていたんです。でも、最近また聞き始めてみたら、サウンドがダイナミックに変化を迎えていて、とても面白いなと感じました。リリックのセンスも、スキルの巧みさも、フローのレパートリーも全然違いますね。一方、メッセージ性、つまり政治的なセンスに関しては、更新されていない部分、更新されにくい部分はあるとも思います。そんな中で、あっこさんの曲はすごくハイセンスだなと。最初に聞いてみたいのですが、「考え方」を身につける原体験ってありますか?
あっこ ありがとうございます。原体験……18歳か19歳の頃ですね。
私は長いこと孤立していて、女友達が初めてできたのが小学5年生の時でした。その時「社会ってこういうものなんだ」とわかって、17歳ぐらいまではずっと自分を抑えて友達グループに合わせる努力をしてたんです。でも「社会」に流されながらも違和感は抱えていて……。周囲に馴染むために空気を読んで他人の評価を気にして苦しくなっていた時に、小学生以来遠ざかっていたドラムを再開したら、ドラムを叩いている瞬間だけは全てを気にせずにいられました。それ以降、少しずつ「自分はどうしたいのか」に重きを置くようになったと思います。
荻上 その時期に手にした言葉のなかで、印象深かったものはありましたか。
あっこ その頃はたくさん本を読んでいたんですけど、前向きな本よりはむしろ「世の中は無常!」って言っているものの方が信用できましたね。坂口安吾さんとか、あとは色川武大さんとか。退廃的なものを見て安心していた気がします。
荻上 その感覚はわかります。僕もホラーとかゾンビとかスプラッター映画が好きなんですが、その理由は「みんな平等に死んでいくから」なんですよ。現実に違和感を覚えた時、想像上の世界を通じて、自分の部屋を作ってくれるのがカルチャーだと思います。
例えば学校ってとても窮屈で同調圧力が強くて、みんな右向け右でお互いを採点しあって……という超監視社会ですよね。でも学校が終わったら急にまたルールが変わって、「個性を発揮しなさい!」って言われる。社会に出たら今度は、「個性を発揮するな」と怒られますし。
あっこ 本当におかしいと思う。システムが狂ってますよね。
荻上 そんな中で生きていると、「日本人ならこうだ」とか「女性ならこうだ」のような言説にたくさんぶつかりますよね。あっこさんもきっとそういう「呪いの言葉」に苦しめられてきたと思いますが、どうやって解除してきたんでしょうか。
あっこ 呪いは今も解除してる最中ですけど、やっぱりラップです。ドラムは私にとって「何も考えなくていい世界」で、自分が封印してきた疑問をすくい出せる場所ではありませんでした。でもラップは、ひっかかりや違和感を地に足をつけて言葉にしていきます。自分がかけられている呪いに気が付くこともある。だからラップが間違いなく私にとっては救いだったんです。