山口は、マスコミ対応を嫌うといわれており、テレビ番組で歌を披露することはほとんどなく、所属事務所も情報発信に非積極的だ。それは、劇団四季の退団後も続く浅利氏の非難から逃れるため、演技以外の部分では極力目立ちたくないという山口の自衛手段だと、演劇関係者のあいだではよく知られている。
鹿賀や市村が大手芸能事務所のホリプロに所属しているのも、同様の理由。自社で舞台制作も行うホリプロは、一般的な芸能界の力学だけでなく、演劇界でも大きな力を持つ。意欲的な作品の制作やキャスティングの利便性もあるが、自分の下を去った相手には非情な浅利氏の妨害から、隠れるのではなく対抗しうる場所として選んだという事情も大きい。
山口や市村のケースは演劇関係者以外にはわかりづらいものだが、石丸幹二に対しては、ファンを巻き込んだ騒動にもなった。
2007年に劇団四季を退団した石丸は、退団を申し入れたであろう時期から舞台への出演が激減した。浅利氏は公式サイト上で、インタビュアーに「うつ病」と具体的な病名をいわせ、辞めたいのは石丸のわがままで自分勝手な裏切りだと示唆。 同時期、同じく退団の意向を示していた看板女優の保坂知寿に対しても、収入も配役も恵まれているのに辞めたいというのは「腹が立つ」「不愉快」と言い切っている。
どんな演技指導でも逆らえない
鹿賀や石丸たちは浅利氏の訃報に対し追悼コメントを寄せているが、上記のなかで浅利氏は「ほとんどのひとは四季を離れた後俳優としての成長が止まっているように見える」とも発言。鹿賀は追悼コメントで「最後に会ったのは2000年、銀座の食事先でばったり遭遇した」と明かしているが、18年の空白があることは、浅利氏の、四季を卒業した俳優への愛のなさを裏付けているようにも感じられる。
石丸や保坂は四季退団後、年単位の休養を経て演劇界へ復帰した。しかしこれはただのバカンスではなく、退団時の契約によるもの。芸能界でも所属事務所を退所する際、活動自粛が求められることがあるが、四季の場合は1年間、四季にも外部の舞台にも出演することが許されない。市村はテレビ番組で、その間は無給だったので舞台を観に行くお金がなく友人に援助を受けたと明かしている。
演劇の稽古場では厳しい罵声が飛び交うことはよくある。優れた企業家であったが熱心な演出家でもあった浅利氏の稽古場でも同様で、ときには役者に手が出ることもあった。劇中、全裸になる場面があるストレートプレー(セリフ劇)「エクウス」の指導では、主演俳優と相手役の女優を海外の無人島へ連れて行き、羞恥心をなくすために裸で泳ぐように指示したこともある。
クオリティを追求するがゆえに、出来がよくないと浅利氏が判断すれば公演前日でも降板させることが可能な劇団の環境では、たとえ納得できない指導方法であっても異を唱えることはむずかしいであろう。