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【大阪・天神祭】男ものの浴衣を着てiPhone 3G片手にお祭見物する女性

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「よっ! 姉ちゃん、粋だね!」

旧淀川の上流、大川の両岸に屋台が立ち並ぶ。いか焼き、たこ焼き、かき氷。玉子せんべい。フランクフルト。
日本三大祭りのひとつ、大阪天満宮の天神祭の本宮は夏の終わりが始まる頃に開催される。御神霊を渡すお神輿や船が出され、花火が上がる。
総来場者数のべ130万人。そんな人・人・人の波の中、コテコテのテキ屋のオッチャンが、たった一人の人物に向かって明るいヤジを飛ばしていた。

呼びかけられたその人は、私のすぐ前を歩いていた。日の長い季節の19時の光と屋台の裸電球とが混ざり合った、紫とオレンジの薄明かりに後姿が浮かび上がる。

男の子かと思った。なぜなら、腰骨のあたりで帯を締めていたから。幅の細い、白と黒の縞模様の帯をぐっと下げている。それに多分、暗いベージュの浴衣も男ものだ。
小柄な体格だがおはしょりを作らずにジャストサイズで着ている。腰揚げしたのだろうか。

声をかけられたことに気づいて彼女が顔を傾けた。
ギャルとヤンキーの中間のような、関西らしいラインの強い化粧にはっとする。浴衣の硬質な直線と、首の後ろでお団子に結われた癖のある髪のゆらぎ。トーンの抑えられた和装の中で巨大なピアスがぎらぎらと目立っている。
ばさらと呼ぶには恬淡で、かぶきと呼ぶにはさりげない。だけどほんの少しだけ荒っぽい。

(C)はらだ有彩

(C)はらだ有彩

浴衣の他にもう一つ、私に衝撃を与えたものがあった。
彼女の右手に握られていた、角の丸い、黒くて薄い小さな板―――iPhone 3G。
日本では初代となるiPhone 3Gが発売されたのは2008年6月9日。ちょうど今から10年前だ。そして私が彼女を見かけたのも10年前だった。つまり、彼女は2008年の夏、1カ月前に発売されたばかりの最新ガジェットを携えていたのだ。
ガラケー全盛期だった当時、「でかすぎ」「画面割れそう」「誰が使うんだ」などという否定的な反応が多く、少なくとも私の周りでは誰も持っていなかった。そんな謎の端末が、山賊の頭領のような、お忍びの若旦那のような彼女の手にいとも自然に収まっている。
オッチャンでなくとも歌舞伎の大向うのように叫んでしまいそうだった。

私はその時、信じられないくらいショボい浴衣を着ていた。1,000円で投げ売られていた、ペチコートを着ないと下着が透けるほどぺらぺらの代物。しかし安物であることは大きな問題ではない。悔やまれるのは思考停止していたことである。

「浴衣警察」というフレーズが浸透して久しい。浴衣を着慣れない人の間違いを強めに指摘して去っていく勢力のことを指す言葉だ。
浴衣警察に怒られたくない一心で「浴衣 一人 簡単」と検索し、「右利きの人が描きやすい角度の襟が外側」と唱え、鏡の前でぐるぐる回転しながら何とか着込む。
……これ、合ってるのか? 変じゃない? 間違ってないかな?

一番指摘されやすい失敗は合わせを反対にしてしまうことだろう。左前は目立つ上に、技術的なミスではないため、とにかく嘲笑される。
左の襟を上にする、というルールは1200年程前から存在すると言われている。飛鳥時代、701年に制定された大宝律令、その後中断を経て757年に施行された「養老律令」。その中の「衣服令」にて、「初令天下百姓右襟(右の襟を上にするように)」と定められた。右前の日常着に対して、死というイレギュラーなシチュエーションでは反対に左前が割り当てられた……というのが定説となっている(ちなみに京都書院から出ている『写真で見る日本の女性風俗史』によると、飛鳥時代では左前と右前が入り混じり、奈良時代でも時々左前が着られていたようだ)。

しかし静かなる荒くれ者の彼女は、そんな制約よりももっと思いがけない、もっと高いところまで飛んでいくような佇まいだった。
彼女の目が、呼び止めたオッチャンと、オッチャンの手元のいか焼きを交互に見る。鋭いアイラインが二、三度瞬き、にわかに笑った。

「あはっ、どうも……」

褒められたからといって別にいか焼きを買うわけでもなく、想像していたよりはにかみながら、彼女は川沿いに歩いていった。

あれから10年が経った。経年とともにiPhone 3Gは10になり、ほとんどの人にとってなくてはならないものになり、その後逆になくてもいいのではないかというものになった。天神祭は1000年前に起源があると言われているが、その頃には屋台なんて存在しなかった。
何がスタンダードになるか誰にも分からない。10年後にはスマートフォンなどというものはなくなり、テレパシーで会話できるようになっているかもしれない。1200年経った未来では、左前が正しい着方になっているかもしれないし、女もの/男もの以外のジャンルに分けられているかもしれない。

今でも天神祭に行くたびにあの女の子を探す。彼女も、屋台のオッチャンも、私と同じように10歳年を取っているはずだ。人いきれと川の湿度が入り混じり、背中を汗が伝っていく。大人になった彼女はどんな浴衣姿だろう。想像の中の背中に、私も明るいヤジを飛ばす。よっ! 粋だね!

はらだ有彩

関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーター。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》代表。2018年5月、日本の民話に登場する女の子の心情に寄り添う本『日本のヤバい女の子』(柏書房)刊行。

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