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木村拓哉が『検察側の罪人』で求められた高いレベルの役づくり

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 ただ、原田監督の求める演技レベルはこれが到達点ではない。役柄を完全に頭のなかに入れ込んだら、今度は、木村拓哉ではなく、「最上毅」の頭で物事を考えることが求められる。その段階まで来たら、もう現場に台本は必要とされないようだ。『検察側の罪人』の撮影現場では、こんな突飛な演出方法までとられたという。

<何にせよ現場で生まれてくるものを見逃さず大事にする監督で。例えば脚本に書いてないけど原作にはあったかな?というフレーズをいくつか並べて、『これとこれとこれを、最上なりに繋ぎ合わせて言ってみて』とか言われるんです。素材だけ渡されて『はい、どう料理する?』みたいな。それはもう芝居ではなく、最上そのものになってないとなかなか対応できない>

 木村は原田監督が撮りたがっていたものを「ドキュメンタリー」と表現する。木村が役と物語を理解するサポートをしたら、あとは役者に具体的な指導はしない。むしろ、「最上毅」の言葉や動きが、演出を超えたリアリズムをもたらしてくれるのを待ち構える。それが「ドキュメンタリー」ということであるようだ。

<『ああしろこうしろ、ここで座れ、ここで立て』と指示しない代わりに、芝居を超えたドキュメンタリーを見せてくれと言われてるような気がする。だから、ドキュメンタリーになるまでOKが出ないという(笑)>

 以上のように、原田監督が木村に対して行っていた演技指導の一端を知ると、二宮の印象に残っていた部分は、まさに原田監督が木村に求めていたものであることがわかる。それが二宮に伝わっていたということは、原田監督の演技指導も、木村の役づくりも完全に成功していたということだろう。

 こういった演技指導の結果として最上毅の役づくりがなされていることを念頭に置きながら『検察側の罪人』を見ると、よりいっそう物語の深みを味わえるのではないだろうか。

(倉野尾 実)

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