フランソワーズへの気まずさから早く立ち去りたいボリスは、ノリノリでディナーに参加するアンドレアを黙らせようと、ともにトイレに避難。言い合っていたはずがイチャイチャし始め、個室の中で一戦まじえようとしたところ、扉をイヴォンヌが開けてしまいます。イヴォンヌを追いかけてきたフランソワーズは、彼らの不倫をボリスの妻に告げると脅しますが、アンドレアは「バラしたければどうぞ」と言い切ります。
不倫とはいえ、よその家庭のことに口を出すフランソワーズはヒステリックな印象ですが、主人公のアンドレアよりも共感できるキャラクターかもしれません。イヴォンヌは軽度の認知症で同じことを連呼しますが、エリックは母親のいうことをすべて優先するのに面倒は妻にまかせっきり。親友の夫の不貞を追及したいのに、そこをあいまいにするのがオトナだといわんばかりのエリックの態度に、ボリスたちへ怒っていたはずが、怒りの対象が自分の夫と義母に向かっていきます。
フランソワーズとエリックは、正式に籍を入れていない事実婚です。マザコンではあってもエリックは地に足のついたエリート男性(イラっとくる感じと常識人ぶりのバランスが、藤井隆は絶妙!)。フランソワーズは「お試し期間中なの」と言いますが、アンドレアにイヴォンヌの年齢を聞かれて「知らない」と答えたひと言に、不安定な関係への不安と、エリックへの不満を見て見ぬふりをしてきた理由がちらついたように思えました。
大人だから皆、悲喜こもごも
アンドレアは独りで子供を育てる責任の重さに加え、年下や金持ちなど魅力な男性からまだモテると、ボリスにことさら誇示します。その様子にボリスへの愛情と先の見えない不倫のはざまにいる疲れとともに加齢への不安が垣間見えました。鈴木京香はもちろん美しい女優ですが、意外なのが顔に「ゴルゴ線」がくっきりしていたこと。それが演技以上に、アンドレアの疲弊した心情へのリアリティを与えていましたが、これが意図的だとしたら、女優のガッツは底知れない!
作品の原題は、イタリア語の「Bella Figura」。元々は「表向きに良い顔をする」という意味で、すべてがうまくいっていないときに「うまくいっている」と言い張ること、もしくは、毅然としていること、という言葉です。ヤスミナ・レザの作品は世界各国で上演されていますが、ドイツ語でも英語でも作品名は原題のままでしたが、日本では、映画「大人のけんか」の邦題を受けてのタイトルにしたそう。罵倒したり暴力に訴えたりするわけではないけれど、取りつくろった嫌味の応酬から次第に自分の気持ちばかりを主張するようになっていく過程は、「大人」だからこそ、皆何かを抱え戦っているよね、と共感できるように思います。
この一夜のけんかの果てに待っているのは、ひとが生きていくうえで決して避けられないものです。たとえそのときは人生最悪のときだと思っても、他人から見ればちょっとした喜劇。そう思えば、人生の試練はどんなものであっても必ず乗り越えられるとも考えられるのかもしれません。
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