政治・社会

松本人志が「おかしなこと言ってない」と擁護した杉田水脈議員コラムの“前段”に何が書いてあるか

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『ワイドナショー』(フジテレビ)番組ホームページより

『ワイドナショー』(フジテレビ)番組ホームページより

 自由民主党の杉田水脈議員による「LGBTは『生産性』がないので支援する必要はない」などとした発言が波紋を呼び続けている。この発言は7月18日に発売された「新潮45」(新潮社)2018年8月号に杉田水脈議員が寄稿したもので、雑誌が書店に並ぶとすぐに大炎上。しばらくは、新聞•ラジオ•ネットニュースが取り上げるのみで、テレビのニュースはこの話題を無視していたが、現在では各局で取り上げられている。

 7月29日放送『ワイドナショー』(フジテレビ)でも、杉田水脈議員の話題を取り上げていたが、そこで語られた松本人志の見解は、「生産性」というワードを除けば問題がない……というものだった。

<一応、僕も「新潮45」読ませていただきましたよ。前段はね、なんかこう、そんなにおかしなことは言うてなかったんだけど、どんどん気持ちよくなっちゃって、どんどん加速していって、途中でアクセルとブレーキを踏み間違えたみたいな感じがしましたね。でも、『生産性がない』っていうのは絶対言っちゃダメな言葉ですね。うーん、で、『生産』っていろんな『生産』があるから。別に子どもだけじゃないし、なぜこういうことを言ってしまったのかちょっとわからないですけれども>

 杉田水脈議員も炎上が始まった際に、雑誌の一部が切り取られたことにより誤解が生まれたと主張し、<全文を読んでから批判してほしい>とツイートしていた(現在は削除済み)。松本も「生産性」なる言葉が出てくるより前の<前段>は問題ないとした。では、その“前段”に何が書いてあったのか。

 まず確認しておきたい「生産性」のくだりは、こうだ。

<例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか>

 杉田議員の寄稿した「「LGBT」支援の度が過ぎる」という文章は、同誌の特集である『日本を不幸にする「朝日新聞」』第二部の最後、約4ページほどに掲載されたものだ。杉田議員は冒頭でまずLGBTに関する報道の量を疑問視し、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞といった新聞を比較すると、朝日や毎日といったリベラル寄りの新聞の方がLGBTを扱った報道の量が多いことを指摘したうえで、<違和感を覚えざるをえません>と主張する。

 その<違和感>の論旨として、杉田議員は<LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか>とし、キリスト教社会やイスラム教社会において繰り返されてきた同性愛者への迫害の歴史と引き比べながら、<日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした>と綴る。そして、日本は歴史的に同性愛者に対し、<むしろ、寛容な社会だったことが窺えます>と述べるのである。

 杉田議員は、戦国武将などにあった男色の風習を念頭に置きながら<寛容な社会>としているのかもしれないが、現代においてLGBTへの差別がないかといえば、残念ながら「差別はある」。

 2015年には、LGBTであることを友人に暴露されたことを苦にした一橋大学大学院の学生が自殺するという事件が起きたばかりだが、そういったことを勘案すれば、とてもではないが<寛容な社会>などとは言えないだろう。

 そこから杉田議員は<LGBTの当事者の方たちから聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います>と、LGBT当事者が抱える苦しさを「家族の問題」と矮小化。<これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません>として、「自己責任」とでもいいたげな、こんな暴論を吐く。

<リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです>

 ここから、先に引いた<「生産性」がないのです>の文章につながっていく。しかし、LGBTの人々が生きづらさを感じる要因のひとつに「社会制度の不備」があるのは間違いない事実であり、この“前段”をもって<おかしなことは言うてない>と評価することは難しい。

 LGBTをめぐる社会制度の不備、その象徴的な例が同性婚の問題だ。扶養控除などの税控除や社会保障も同性パートナーには認められていない。片方が亡くなったときの相続の問題もある。また、病気で入院してしまい「家族以外は面会謝絶」といった場合に同性パートナーが阻害されてしまう問題や、家を借りる際に大家がそれを理由に拒絶するといった問題もある。

 このように、同性婚が認められていないという社会制度の不備によって生み出される「生きづらさ」は山のようにある。そういった状況を改善するのが政治家の仕事であり、ましてや差別を煽り立てるなどというのは政治家としての資質が問われる問題だろう。

 以上見てきたように、松本は<前段はね、なんかこう、そんなにおかしなことは言うてなかった>としているが、すでに“前段”には事実誤認や偏見が満ちている。しかし松本はこれを、おかしなことではないと認識している、つまり日本は同性愛に寛容な社会だと理解していることになる。

 また、松本は<『生産』っていろんな『生産』があるから。別に子どもだけじゃないし>と語っているが、杉田議員の発言の問題点は、そもそも、人権を語る俎上に「生産性」を持ち出したことにある。松本の<別に子どもだけじゃないし>という言葉の裏には「たとえ子どもがいなくても、仕事などで社会に貢献していればそれでいい」という思いがあるのだろうが、障がいを抱えていても、無職でも、犯罪者でも、すべての人間には人権がある。生産性がなくても人権はあるのである。

 今回の杉田議員の発言は、生きている限り誰もがもっているはずの権利を軽視し、優生思想にもつながりかねない考えを主張したところが非常に危険であり、このまま見逃してはならない問題発言だ。この大前提を置き去りにした議論をテレビで繰り広げても意味はない。<『生産』っていろんな『生産』があるから。別に子どもだけじゃないし>は、結局のところ「なんらかの『生産』を行わない人間は生きている価値がない」という考えにつながるものである。

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