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穂村弘×枡野浩一対談【1】「言葉の透明度について」

【この記事のキーワード】

枡野さんの離婚の話なんて、もう、どうでもいいじゃないですか(穂村)

穂村 具体的に例をいっぱいあげてもいいですか?

(付箋が無数についた枡野本『愛のことはもう仕方ない』を開く)

枡野 凄いですね! 物凄いメモがありますけども(笑)。

穂村 そう。「こんなに!」って、怒りながら書きだしたの(笑)。

会場 (爆笑)

枡野 なるほど(笑)。あ、そう言えば、<花荻窪>のこともね、書いてましたもん、その本に。

穂村 それもね、あとで出すけど。ちょっと言いたいことがあるので……。

枡野 反撃しようとされてるんですね?

穂村 反撃というか、この問題、僕は凄く気にしてるから……。(枡野さんの本では)<生姜ジンジャーシロップ>っていう単語をひとつ出した後で、「生姜とジンジャーは同じものだから、この名前はおかしい」っていう解釈が入ったり……

枡野 はいはい。

穂村 <私はハメツしていました>っていう破滅をカタカナでハメツと書いてあって。一瞬読者である僕が「あれ?」って思った直後に、<このキーボードはひらがなの[]が打てません>っていう注釈が入ると。

枡野 はい。

穂村 わかるよね? 言ってること? ひらがなの[]が打てれば漢字変換できるから。だけどひらがなの[]が打てないので、カタカナで<ハメツしました>ってここには書かれてある……

枡野 そうなんですよ、そういう本なんですよ。

穂村 あと、<お店の人が結構食べれますよと言った>と。で、<結構食べれました>。読者である僕が「おや?」って思ってると、<正しい日本語は、食べられましたです>って自分でツッコミを入れてる……

枡野 僕が書いたんです。

穂村 全部好きな箇所なんだけど、これらはある意味、みんな、ノイズというかいらない文章じゃない? 現実に対して透明度を高めるなら。こういう解釈やらが入ることで、現実に対する透明度は下がるんですよ。つまり“すべては言葉にすぎないんだ”というメタレベルのメッセージにこの本は満ちていて、そこが大事なのに。他にも毎回、<豆から淹れたコーヒー>というのが出てきて……

枡野 フフフ……

穂村 <豆から淹れたコーヒーをレンジに入れて、そのまま忘れがちです>っていう文章が、ある回の冒頭にあって、そしてその回の最後に、<と、ここまで書いたところで電子レンジの中にあるコーヒーの存在を思い出しました>とか……。これらもすべて、言葉が言葉に回収されているわけで……。それを読むと僕は、現実の重力から言葉が自由になりうるんだっていうことを信じられる気がして、励まされるのに……

枡野 ……はい。

穂村 ……枡野さんの離婚の話なんて、もう、どうでもいいじゃないですか。(枡野対談シリーズを読むと、対談相手である)あれだけちゃんとした人たちが、散々ちゃんとしたことを……

枡野 ……言っている?

穂村 うん。充分じゃないですか。なんか、う~ん、どうしてもっと…………言葉の話をしてくれないんだろう? 枡野さん自身が無意識に誘導しているんじゃないか。

枡野 ………という苛立ちを(枡野対談シリーズに)持っていらっしゃるんですね?

穂村 だって、この本の……この本の刊行記念連続トークイベントなんでしょ?

枡野 そうなんですよね。

穂村 “人生相談連続トークイベント”じゃないでしょ?

枡野 ま、そうなんですけども。あの~、どうなのかなぁ、自分が書いたときには、例えば、<これから書く文章は小説ということにしたいと強く思いました>という書き出しなんです、この本。
自分ではとても小説のつもりで書いてるんですね。ただエピソードがすべて事実であることには、もの凄く気をつけてるんです。
けれど、こういう企画でトークしたときには、もうみんな、表現とかには興味はなく、結局、「この主人公である枡野浩一はどうなの?」っていう、みんなが話したいのはそこなのかなって。それは自明のことのように思っていました。
ただ本人としては、なんでこう書いたのかとかいちいち理由があるし、なんでこんな感じの本なのかも説明があるんですけど……

穂村 う~~ん……。

枡野 そこはもう語られないなっていうのは、もう、あきらめてるって感じですかね。 短歌の本だったら、どう表現するかみたいな話になってくと思うんですけど。
ただ、僕の持ってるイメージの「歌壇」っていうのは、どう表現するかを語りながらも、実は(歌を詠んだ作者は)どんな人物なのかが絶えず紐づいてる短歌ばっかりが流通してると思ってて。
僕自身は、自分の短歌に関しては、あまり紐づかないように気をつけてるんですね。だけどこういう本を出すときはなぜか異様に紐づいちゃうっていう……。
そこは、なんでこうなんだろうっていうのは…自分でもいつも……わからないところでございます。

穂村 ジャンルによって……ジャンルによって表現と現実の関係性が違う……透明度が違うって話をしたけど、言葉を使う表現の中でもジャンル差があると思うのね。
一番言葉の透明度が高いのは、エンターテイメントの小説。言葉を極力透明に、つまり現実を描くためのツールに徹するほうが読みやすい。ストーリーやキャラクターも立ちやすい。通勤電車で読んでも頭の中に入ってきやすい。
それが純文学の芥川賞みたいな、ああいうのになってくると言葉の透明度が格段に下がって、言葉そのものを読者が意識せざるを得なくなる。その背後にある、「なにが起きてるの?」みたいなことが、エンターテイメントの小説よりも見えにくくなる。筋が追いにくいし、キャラクターも単純にこういう人っていうのをわざとわかりにくくしてるのかよっていうぐらいに、書かれる感じになる。
そして、最も言葉そのものが本体であるということをこちらに突きつけてくるのが、詩、韻文(いんぶん)……。これは、その言葉の背景にある現実が非常に見えにくくて、いったいなに言ってんのかわかんないよっていう……。読むのにとても集中力がいる。
ただその中で短歌だけは、枡野さんが今おっしゃったように、ちょっと例外的に私小説みたいなところがあるから、ちょっと鬼っ子というか、変な位置づけになっちゃってるけど……。
それで、それでね、僕はやっぱり生理的に、自分はエンターテイメントの文体、好きじゃないと思う。それって、現実があればいい人が読むもんなんだと思う。今ある現実が大事で……

枡野 “リア充”ということですね。

穂村 うん、なんか……。でね、ここはちょっと微妙なんだけど、枡野さんはこの本の中で、<あらゆる作品は人生を超えないものです>っていうふうに書いてるのね。
僕だって、そんなことはわかってる。あらゆる作品より現実や人生のほうが重いに決まってますよ。だからこそ、そこからの離脱を試みなくてはいけないのに、そんな従属的に、現実が見えやすいように、言葉が奉仕しなければいけないなんて……

枡野 そこは、まさにそうで……。僕がそう書いているのは、穂村さんがかつて言った言葉へのアンチ的に書いてるところがあるんですね。

穂村 うん。

枡野 ツイッターでも書いたことあるんだけど、穂村さんは“表現は現実に従属しないものであってほしい”――と。その気持ちはわかるんだけど、でも実際には、現実に従属するんじゃないかっていうのが僕のもの凄く強い思いで……。
なぜかというと、なんだろうなぁ、“従属するものだ”という意識がなく書かれたものが嫌いだと思うんですね。穂村さんと逆のベクトルで。
穂村さんみたいに、“従属してしまうからこそ、より従属しないように書きたい”というのはわかるんです。でも、あからさまに最初から従属しなくていいっていう能天気さで書かれたものには、耐えられないものがあるんですね。

穂村 うーん、それは同じ事象を見て、ひとつのことを別々に言ってるから。

<続く:第二回

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◆穂村弘
歌人。1962年生まれ。
1990年に第一歌集『シンジケート』で歌人デビュー。2008年に『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞を、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞を受賞。2017年に『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『ラインマーカーズ―The Best of Homura Hiroshi』『世界音痴』『現実入門』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』などがある。2018年に17年ぶりの新歌集『水中翼船炎上中』を刊行。

 

枡野浩一からお知らせ】
枡野浩一の小説『ショートソング』の新しい帯をつくることになりました。そこでTwitterで<#ショートソング応援短歌>を募集しています。
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(構成:藤井良樹)

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