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カルピス“初恋の味”はどこから来たのか?『カルピスをつくった男 三島海雲』を書いたジャーナリスト・山川徹さんインタビュー

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山川徹著『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)

 国民的飲料として長らく愛され続けている「カルピス」だが、その産みの親であり、日本を代表する経営者でもある三島海雲については意外なほどに知られていない。ノンフィクションライターの山川徹氏は、歴史の経過と共に数少なくなってしまった関係者の証言や文献から、知られざる三島の足跡を丹念に調査。今回、『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)というルポルタージュとして1冊にまとめた。山川氏は、カルピス、そして三島の歴史を発掘する作業を始めたきっかけについて、次のように語る。

「三島海雲はカルピスを商品化する以前、中国やモンゴルに渡って生活しながら次々と事業を起こします。大陸で成功をつかむという夢を掲げ、同時代の多くの若者と同じように人生を賭けた“旅”に出るのです。三島らが大陸に渡った明治末期から大正期にかけては、海外へと日本人が個人で出ていくようになる時代の黎明期でもありました。僕自身、20代の頃にモンゴルの遊牧民と生活を共にさせてもらった経験が物書きとしての原体験となっていることもあり、のちにカルピスをつくって事業化する三島が、100年前に大陸でどのように旅し生活したか、また何を見たかについて、非常に大きな関心を持っていたんです」

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター。1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律科卒業後、國學院大學二部文学部史学科に編入。著作に、『捕るか護るか? クジラの問題~いまなお続く捕鯨の現場へ~』(2010年、技術評論社)、『それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(2013年、双葉社)などがある。

 1878(明治11)年、大阪の浄土真宗系の貧乏寺の長男として生まれ、幼い頃から仏教徒としての心の在り方や専門教育を学んだ三島海雲は、1902(明治35)年には知人を頼り中国大陸に渡る(当時中国は、清朝末期)。いわゆる“大陸浪人”のひとりとして、新天地を夢の舞台として選んだのである。

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モンゴル族の王侯たちとの記念撮影。三島海雲は左端。(写真は三島海雲記念財団提供)

 三島はその後、中国・北京で日本語教師として生活の足場を築くかたわら、雑貨を売買する行商会社を設立。モンゴル高原を旅しながらビジネスの拡大を図る。しかし、中国やモンゴルなど大陸で彼を待ち受けていたのは、失敗と挫折の連続だった。やがて辛亥革命が起こり中華民国となった混乱もあり、1915(大正4)年に三島は、大陸での青春に終止符を打つ。夢半ば、そして無一文となり日本に帰国するのだった。

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中国大陸で事業を立ち上げ、軍需品を輸送する三島一行。(写真は三島海雲記念財団提供)

 しかし、大陸を駆け回った日々は、「人々のつながり」という貴重な財産を残す。緒方竹虎(戦後、吉田茂内閣下で副総理などを歴任したジャーナリスト出身の政治家)から羽田亨(京都帝国大学の総長も務めた歴史学者、東洋学者)、そして与謝野鉄幹・晶子夫妻ーー。生来、率直で正直、誰からも愛されるという不思議な魅力があった三島海雲は、日本人なら誰でも知っているような著名な政治家や財界人、新聞記者など知人の助けを得て、日本で再び起業する。また青春の旅は、のちに大ヒット商品となるカルピスを生むヒントも三島に授けた。モンゴルで遊牧民から振る舞われた乳製品が忘れられなかった三島は、試行錯誤の末、1919(大正8)年に乳酸菌飲料・カルピスを製品化するに至るのである。

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ロボティア編集部

人工知能(AI)、ロボット、ドローン、IoT、ブロックチェーンなど、テクノロジー関連のニュースを配信する専門メディアを運営。国内外の最新技術動向やビジネス情報、カルチャー・生活情報なども各メディアに寄稿中。

サイト:ROBOTEER

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