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カルピス“初恋の味”はどこから来たのか?『カルピスをつくった男 三島海雲』を書いたジャーナリスト・山川徹さんインタビュー

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企業は国民を豊かに、幸せにせねばならない

 三島海雲が大陸で夢を追いかけた明治末期から大正にかけては、動乱の時代でもあった。日清戦争、日露戦争などを経て次第に先鋭化していった日本帝国主義の大陸侵略の野望は、三島や同時代の若者の夢を時に駆り立て、時に巻き込み、そして時に奪い去りながら徐々に肥大化していく。同書は、そのような大陸侵略と若者たちの利害関係を決して否定しない。ただ本書を読む限り、カルピスが誕生する原動力となったのは、三島がモンゴルの遊牧民に抱いたリスペクトや好奇心、そして彼らから家族のように慕われた三島の人間性にこそあったと自然と思えてくる。

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1963年、85歳の頃の三島海雲。(写真は三島海雲記念財団提供)

「三島海雲は、企業は国家だけでなく、国民を豊かに、そして幸せにしなければならないという経営理念を掲げます。よくある宣伝文句のように聞こえなくもないですが、三島は本心でそう考えていました。興味深いのは、晩年には“仏教経典”をつくろうとしたことです。高度経済成長期に突入した日本では物質面で非常に豊かになる反面、人を思いやらなくなったという思いが彼の中にありました。だからこそそんな社会に危機感を感じ、仏教を通して日本人ひとりひとりに生き方を見つめ直してほしいと願ったのです。

 三島海雲は、未来について考え抜くという力が非常に優れていたように思います。経営者としてもそうですが、ひとりの人間としても実に魅力が多い人物です。今年41歳の僕は、2000年前後の就職氷河期に社会に出て、格差社会の現実を突き付けられた世代でもあるのですが、三島のような経営者がたくさんいたら、風通しがよく、優しい社会が実現したのではないかと、ふと、想像したりします」

最新の「カルピス」。プラスチックボトルで470ml入り。三島海雲が1917(大正6)年に立ち上げたラクトー株式会社は1923(大正12)年にカルピス製造株式会社に改称、1949(昭和24)年に東京証券取引所に上場した。その後味の素傘下に入るなどしたあと、2012年にアサヒグループホールディングスの完全子会社となり今に至る。

 好奇心と情熱と人間力で国民的飲料を生み出し、国家と国民の繁栄を願った経営者。本書を通じて三島海雲の半生に触れた時、読者の皆さんはきっと、普段より濃いめのカルピスを飲みたくなるはずである。

【構成/河 鐘基(ロボティア編集部)】

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