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『未来のミライ』4歳児には酷なアイデンティティと、両親の存在感

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小説『未来のミライ』(角川文庫

小説『未来のミライ』(角川文庫

 細田守監督の新作映画『未来のミライ』が公開中だ。本編を最後まで鑑賞して、タイトルに違和感を覚えた。主人公は4歳男児の「くんちゃん」で、妹の「ミライちゃん」ではない。そしてどちらかといえば「未来」よりも「過去」のルーツが描かれた作品であったからだ。

 一男一女の父親である細田守監督は、上の子が「大きくなった妹に逢う夢を見た」と言ったこと、また妹が生まれた時に4歳だった上の子が床を転げまわって泣き叫んでいた様子から、この映画の着想を得たという。ごく私的な事柄を、普遍的なアニメーション作品に広げ、350館以上の規模で上映するまでに発展させる手腕は見事だが、思えば細田監督は『おおかみこどもの雨と雪』も『バケモノの子』も、ごくごく個人的な興味から始めて作品に昇華させてきた。

 『おおかみこどもの雨と雪』は、細田監督の身近な夫婦たちが子育てをはじめ、<親になった彼ら、特に母親がやたらカッコよく、輝いて見えて><自分が体験してみたい憧れを映画にしたという感じ>だった(『おおかみこどもの~』公式webサイトより)。

 それから3年後の公開となった『バケモノの子』は、細田監督に息子が誕生したことが一番大きなきっかけだったという。『おおかみこどもの~』は<「子どもを育てるお母さんというのは大変な思いをして育てている、それが素晴らしい」という映画がないな、というのが着想のキッカケ>だったが、『バケモノの子』では<自分自身が親となって実感したことでもあるのですが、子どもというのは親が育てているようでいて、実はあまりそうではなく、もっと沢山の人に育てられているのではないかなという気がするのです>という考えから製作。<子どもが沢山の人から影響を受けて成長していく様を、この映画を通して考えていきたいです。そういう映画はあるようでないと思うので、そこが凄くチャレンジではないかと思います>(『バケモノの子』公式webサイトより)。

 いずれも興業的には成功したと言えるコンテンツだった。しかし『おおかみこどもの~』は、監督自身が語っているように、“母親”というものへの過剰な憧れと信頼が詰まっており、実際に母親として生活を営む側からすれば気詰まりな描写も少なくなかった。聖母幻想ここに極まれり、という印象さえ受けた。

 一方、新作映画『未来のミライ』では、監督が夫婦で二児を育てる中で「親だって人間だもの、不完全でも仕方ないよね」という目線を獲得したように感じた。

 

※以下、作品のネタバレを含みます。

 

 くんちゃんの家族は父(フリーの建築)、母(出版社勤務)、くんちゃんが生まれる前から両親が飼っているゆっこ(犬)、生まれたばかりの妹・ミライちゃん。くんちゃん誕生時、父は育児にノータッチで母はワンオペ育児状態だったが、妹の出産後は母が数カ月で職場復帰し、父が自宅で仕事をしながら育児を担うことになった。ちなみにくんちゃんは保育園ではなく幼稚園に通っている。

 妹の誕生で、両親(プラス祖父母)の愛情を奪われた気分のくんちゃんは、部屋を散らかしたりわがままを言ったり妹にちょっかいを出したりで、母はついつい、くんちゃんを叱ってばかり。父は新生児の世話と仕事と家事で手一杯なので、くんちゃんのストレスは強まるばかりだ。

 そんなあるとき、成長したミライちゃんが未来からやってきた。くんちゃんは、成長したミライちゃんや、人間の男の姿をした飼い犬ゆっこ、少女時代の母、母方の曽祖父である青年、高校生になった未来のくんちゃんといった面々との不思議な出会いを体験し、成長する。

 子供の空想を再現したような支離滅裂な映像は良くも悪くもとっちらかった印象が否めないが、4歳男児・くんちゃんの目線に徹底的にこだわっていたのだろうとわかる。

 しかし一方で物足りなさを覚えるのは、くんちゃんという他人に寄り添うのではなく、監督が自分自身(父親)の内側を覗き込む描写がもっとあっても良かったのではないか、という点だ。くんちゃんは自分が生まれるより以前の“家族”たちに触れて、自分のルーツを知り、愛を実感するのだが、4歳児にそれを求めるのは時期尚早ではないかと思った。

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中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

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