エンタメ

『未来のミライ』4歳児には酷なアイデンティティと、両親の存在感

【この記事のキーワード】

 劇場パンフレットにて細田監督は、<人生は愛をめぐる物語><愛を得たり失ったり、その繰り返しが人生>であり、<愛を失った人間はその後どうするのか? また、愛を見つけられる自分にならないといけない。悲観ばかりしていられないから、そこから一種のアイデンティティ探しが始まる。つまり自分自身を見極める旅に出ないといけない>との問題意識を本作で表現したと語っている。

 では、くんちゃんが見つけた自分自身のアイデンティティは何だったか。妹の誕生によって愛を失ったと思い込み、不思議な体験を重ねるくんちゃんが見出したアイデンティティは、“ミライちゃんのお兄ちゃん”であり、曽祖父母、祖父母、両親、自分や妹へと、過去から現在へと続く家族の血であったように思う。

 キャンプへ出かける夏の日、ズボンをめぐって母と喧嘩したくんちゃんは、気がつくと無人駅におり、見知らぬ男子高校生(成長したくんちゃん)から「ごめんなさいしろ」「(電車に)乗るな」と言われるもひとり電車に飛び乗って東京駅で迷子になる。遺失物係のロボットは、迷子を訴えるくんちゃんに「では、失くしたものは自分自身というわけですね」「行き場所のない子どもの行き先は、ひとりぼっちの国です」「自分で自分を証明する必要があります」など“脅し”めいたことを言う。父や母の名前を言えないくんちゃんだが、赤ん坊のミライがひとりぼっちの国へ向かうらしい黒い新幹線にハイハイで駆け寄るのを見て覚醒。ミライを助け、「くんちゃんは……ミライちゃんのお兄ちゃんっ!!!」と叫んだ。遺失物係は“ミライちゃんのお兄ちゃん”を“証明”と認め、くんちゃんの元に未来のミライがやってくる。そしてくんちゃんは未来のミライに導かれながら、家族のルーツに触れ、「些細なことがいくつも積み重なって、今の私たちを形作っている」と教えられた。元の世界に戻ったくんちゃんはズボンへのこだわりを捨て、家族でキャンプに出かける。

 4歳児にこれを理解させるのは、なかなか酷なことではなかろうか。くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃんだし、家族の子どもであるが、「くんちゃんはくんちゃん」だ。そのアイデンティティ獲得の過程に、両親は関与せず、くんちゃんを理解しようという様子も見られない。息子であるくんちゃんの溢れる生命力、その躍動感は確かにイキイキとしていて魅力的であったが、そこに父親としての監督の内面に踏み込む描写を重ねれば、作品はさらに強度を増したのではないだろうか。

 『おおかみこどもの~』では憧れとしての母親を、『バケモノの子』『未来のミライ』では息子の理想的な成長を描いた。もちろん映画はエンターテインメントであり、必ずしもリアリティを伴う必要はない。しかしいずれの作品もどこか現実味に欠けるのは、ファンタジックな世界観だからということではなく、細田守監督作品は内省的な要素がどうにも薄くなりがちだからかもしれない。

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。