杉田水脈衆院議員が寄稿した「新潮45」2018年8月号(新潮社)の、「LGBTカップルは子供を生まないので生産性がない」といった差別的内容のコラムについて、自民党は批判が起きた当初から、「議員個人の見解」として問題視しない立場をとってきた。wezzyでも、7月27日に自民党「性的指向・性自認に関する特命委員会」全役員に、杉田議員のコラムに関する質問状を送付したが、同様の返答が事務局から一括で送られるのみであった(杉田水脈コラムについて、自民党「性的指向・性自認に関する特命委員会」全役員に質問状を送付するも…)。
8月1日になると、自民党はじゃっかん立場を変え「今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導した」とした文章を発表する。すでに言及したように、この文章と自民党の態度については複数の疑問点がある(杉田水脈議員に自民党が「指導した」と発表 「問題への理解」はいかほどか)。とはいえ、国際的にも批判の声があがる中で、なんとか党としての「体裁」を保とうとしなければいけない問題ではないか、と考える程度には自民党も事の大きさに気が付いていることは明白だ。
しかし必死で取り繕った「体裁」を、幹部クラスの議員が翌日に台無しにした。二階俊博幹事長だ。
二階幹事長は8月2日、訪問先の韓国で記者団に「こういうことはそんなに大げさに騒がないほうがいい。この程度の発言があったからと言って、帰国してからどうだってそんな話じゃない」と発言したのだ。杉田議員のコラムはLGBTなど性的マイノリティだけでなく、様々な人に対する差別でもある。「この程度」で済ませられるような話ではない。だからこそ、自民党も「議員個人の発言」に対し「指導」したと発表したはずだ。
二階幹事長といえば、杉田議員のコラムが問題視され始めた7月24日に、記者会見で「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と発言した人物でもある。他にも自民党には「同性愛は趣味みたいなもの」と発言した谷川とむ衆院議員もいる。すでに削除されているが、杉田議員も、コラムについて「大臣クラスの議員や先輩議員が「間違ったことは言っていない」と声をかけてくれたとツイートしていた。
結局のところ、自民党の党としての基本的な考え方は、杉田議員のコラムとあまり変わりないのではないだろうか。
なお二階幹事長はその後、2日の発言について、「『この程度』とは発言者のことであり、LGBTの方を指しているわけではない」「わが党は引き続き公約に掲げたように性的な多様性を受容する社会の実現を目指す」と補足コメントを出している。このコメントを素直に受け取るにしても、同じ党に所属する議員を「この程度」と唾棄すること自体が非常に傲慢であり、幹部としての責任感が欠如しているのではないか。
火消を始めた自民党からは今後、しばらくの間は二階幹事長のような問題発言が出てこないかもしれない。しかし現在、自民党が「LGBT理解増進法」の策定を目指していることを考えれば、今回の騒動は絶対にうやむやにしてはいけない。もし自民党がただ「体裁」を取り繕うためだけに今回の文書を発表したわけではないのであれば、「理解増進」ではなく、「差別解消」「人権擁護」に踏み込んだ法律を策定するなど、具体的な態度を示すべきだろう。