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「女に殴られたのは初めてや。よう覚えとけよ」 和歌山カレー事件に見る刑事・司法界の女性差別

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『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)

 1998年7月25日に発生した和歌山カレー事件。地域の夏祭りで配られたカレーライスにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった。事件直後から犯人視され、同年末に逮捕されたのが、現場近くに暮らす主婦林真須美(正しい表記は眞須美。当時37歳)である。彼女は2009年に最高裁で死刑が確定し、現在大阪拘置所に収監されている。

 再審請求を行った弁護団は、真須美を有罪とした証拠に問題があったことを次々と明らかにしている。そもそもなぜ真須美が犯人視され、死刑判決を下されてしまったのか。証拠や証言の捏造も否定できないが、私はジェンダーが大きく作用したと考えている。

 事件発生当初は、真須美だけでなく夫の健治も一緒に「疑惑の夫婦」と呼ばれていた。そう呼ばれるようになったのは、夫婦が10年以上にわたって保険金詐欺を繰り返していたことが発覚したからである。

 健治が自らヒ素を飲み、高度障害保険金として1億5千万円を詐取したこともあった。しかしこの件は、捜査当局とマスコミによって、真須美がこっそりと健治にヒ素を盛ったという話にすりかえられ、「疑惑の夫婦」は「夫まで殺そうとした“毒婦”」と「妻に毒を盛られた可哀相な夫」に分断された。

 真須美の“毒婦”のイメージを決定づけたのが、家を取り囲む報道関係者にホースで放水する姿だった。放水は、子ども部屋まで隠し撮りされることに腹を立てた健治が、真須美に命じたものだった。健治は足が悪く、自分ではできなかったのである。もしあのとき放水したのが健治だったら、カメラマンたちは、高価なカメラが濡れることもいとわず撮影を行っただろうか。真須美の放水シーンは、絵になりすぎたのである。

 夫婦は、カレー事件の2カ月半後に保険金詐欺関連の容疑で逮捕され、別々の警察署で取調べを受けた。真須美の方は、カレー事件について自白させるための別件逮捕だったため、連日厳しい取調べが行われた。そのときの様子を健治に宛てた手紙にこう書いている。

 頭が変になり、目に幻覚というものが見えてきて、気が狂いそうで三日目には調書も作りかけた。そしたら、一人の刑事が「やりました」の五文字を書けと言って、座っている私の左腕を思いっきり殴ってきた。私は殴られたとき目が覚め、立って右手をぐうにして、思いっきり刑事の左のほっぺたを殴り返してやりました。向かいにいてた他の刑事は、殴り返したことにとても驚いていた。

 私を殴った刑事は、私に殴られたことで刑事のプライドがとても傷ついたことを理由に、激しく暴れて、そこらを蹴とばして出ていきました。私のことを「殺しちゃろか」というので、「根性あるなら、今ここで殺せ」といってやりました。他の二人の刑事は、私に、「ええ根性した女やなあ」といってきたけれど、私は四人の子どもがいたからとても強く三ヵ月おれました。最後の方には無理矢理ボールペンで「やりました」と書かされそうになったことも何度も何度もあった。

 真須美が殴った刑事は、長く凶悪犯の取調べを任されてきたというが、「二八年間で、女に殴られたのは初めてや。よう覚えとけよ」と真須美に言った。自分が先に殴っておきながら、“まさか”女に殴られるとは思っていなかったのだろう。

 真須美は検事にも、「おまえは、わしの言うとおりにしないで逆らった女や。一生拘置所生活さしちゃるからな(中略)お前が大阪拘置所に行ったら、わしの生きてる限り毎年、死刑執行してやるから、覚悟しとけよ」という呪いの言葉を吐かせている。彼らは本気で怒り、真須美を死刑にしようと誓ったに違いない。

 被疑者が女であるということをこれだけ意識する人たちなのだから、それを逆手に取れば、真須美の刑はもっと軽くなっていただろう。

 戦前の女性犯罪論や、司法関係者が書いた本をひもとくと、彼らがどれだけ女性被疑者に“配慮”していたかがわかる。彼らはまず、彼女たちが犯行時に月経中であったかどうかを非常に重視した。月経中であったと自己申告すれば(それ以外に方法はない)、ほぼ間違いなく斟酌してくれた。女という生き物は、その“性”によって罪を犯すと信じられていたため、それを前面に出せば、罪が軽減されたのである。自分は、女性被疑者に対しては「騎士道精神」を存分に発揮するのだ、と誇らしげに語る司法関係者もいた。

 真須美が刑事を殴るなどせず、罪を犯したか否かに関わらず、涙を流しながら釈明していれば、おそらく死刑を免れたに違いない。そもそもこの事件は、発生当初保健所が「集団食中毒」と誤認しなければ、また、「毒物混入事件」と判明した時点で警察がすみやかに保健所や病院に連絡を入れていれば、あれほどの大きな被害は出ていなかったはずなのだ。

 ところで、真須美が厳しい取調べを受けていた頃、健治は別の警察署の取調べ室で、刑事や検事、事務官たちとカラオケを歌っていた。健治を真須美と分断し、有利な証言を引きだそうとした捜査当局の懐柔作戦だった。

 検事は、「真須美は落とせん。どうにもならん。健治、頼むから真須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ」と言って、土下座せんばかりに紙を差し出したという。「(健治の)求刑は私が出すのだから、我々の捜査に協力してくれたら、とにかく悪いようにしない。真須美と離婚するのだったら、私が手続きしてやる」とも言ったが、健治は言いなりにならなかった。

 それでも真須美と共謀し1億6千万円の保険金を詐取したとして下された判決は、たったの懲役6年。未決算入で実質4年と7カ月だった。判決に対し、健治はひと言「なんとも軽い刑だ」ともらしている。健治によれば、実際に詐取した保険金の額は、8億円に上るという。

 刑務所では、“妻をかばった”健治の“男ぶり”がすでに評判になっており、健治は受刑者たちから熱烈に歓迎された。看守たちからも一目置かれ、何かと優遇されたという。

  もし林真須美が女でなかったら、もしくはジェンダーを“うまく利用”できる人だったら、事件は違う展開になっていたと思えてならない。和歌山カレー事件は、刑事・司法界の女性差別の根深さを端的に示している。

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田中ひかる

1970年東京生まれ。著書に『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)、『「毒婦」 和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)など。

田中ひかるのウェブサイト

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