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「観光がてらだって構わない!」これから西日本豪雨のボランティアに向かう人のための“取扱説明書”【西日本豪雨ボランティア体験記・後編】

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暑い中での泥のかき出しは重労働だ。(撮影・福角智江)

(前編はこちら

 それから2年余りがたった。関西の建設会社社長・シンヂさんたちは今回も岡山県倉敷市真備町などでボランティア活動をしていたが、筆者は仕事の関係でタイミングが合いそうになかった。そして筆者には今回、ボランティアに行くなら広島へ行きたいという思いもあった。

 広島は筆者の地元でもないし、在住経験もない。ただ広島東洋カープのファンなので、年に数回行っていること、大学時代の後輩のほか、友人や知り合いもたくさんいること、被害が大きかった広島市安芸区や坂町、呉市や三原市にも何度か行ったことがあるため、映像や写真で見る惨状に強い衝撃を受けたことが、その理由だ。

 個人でボランティアに出かけようという話を何人かにしていたら、お世話になっている雑誌の編集長から、「同行したい、ついでに記事にもしてほしい」というありがたい申し出を受けた。その編集長も以前からボランティアに興味はあったが、これまでなかなかきっかけがなかったのだという。

 取材をするとなれば、各自治体の社会福祉協議会へ事前の申請が必要となる。スケジュールの都合や写真撮影の許可などの条件を踏まえ、取材を受けてくださったのが、坂町社会福祉協議会(坂町災害たすけあいセンター)だ。

 そして迎えた7月26日。朝一番の飛行機で到着した編集長を広島空港で拾い、カメラマンと車で町内南部の小屋浦地区へ向かう。しかし聞きしに勝る大渋滞で、一向に前へ進まない。この日はまだJR呉線が復旧しておらず、広島呉道路も大半が通行止め。辛うじて使える国道31号へ車が殺到している状態だったのだ。

 結局、空港から2時間半ほどかかって、ボランティア用に確保されていたホームセンターの駐車場にやっとたどり着いた。そこから、坂町立小屋浦小学校へと15分ほど歩く。到着したときにはお昼近くになっており、午前中の作業は結局できずじまいだった。もどかしいが、致し方ない。

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「サポートこやうら」が置かれている坂町立小屋浦小学校。

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泥出しの手伝いをしたお宅。1.5メートルほどの高さまで泥に浸かっていた。

 小屋浦小学校には、坂町災害たすけあいセンターのサテライトが設置されていた。ここでボランティアを取りまとめているのが、兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科の院生である内藤さん。被災地のボランティアセンターは、現地の社会福祉協議会のスタッフでは手が足りないため、各地の社協スタッフやNPO、専門の研究科を持つ大学などがサポートを行っているのだ。

 内藤さんに割り振りをしてもらい、午後は近くの家屋で泥出しを手伝うこととなる。まず、水を吸って重くなった畳を搬出し、続いて床板をはがしていく。本来は畳も床板も乾かして再利用したいところだが、道路に重機が通れるようになるまでに時間がかかり、3週間近く手が付けられていなかったため、とても使える状態ではなかった。

 床下には、粘土のような泥がびっしり。束や大引、根太といった構造物に問題はなさそうだが、格子状に木材が張られているその状態では、スコップで泥をかき出すことができない。仕方なく、家主の方の許可をとって根太(床板を支える横木)を抜いていく。泥は土のうに入れて、リレーで運び出す。

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泥水を吸った畳は、2人でも持てない重さだ。(撮影・福角智江)

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大引から根太をはがして、泥をかき出していく。(撮影・福角智江)

 当日は最高気温が35度を超える炎天下。リーダーの指示のもと、10分作業をして10分休憩するというペースを順守する。ボランティアセンターを経由して集まった人々は未経験者も多い。余裕のあるペースを維持することで、体調不良やケガを防止しており、作業自体も、15時には片付けを含めすべてが終了する。

 内藤さんに話を聞くと、初めてボランティアに来た人は、大量の土砂を前にして、自分の無力さやできることの少なさに打ちひしがれることが多いという。「でも住民の方は、ボランティアの姿を見ただけで、私たちは気に掛けられている、見捨てられていないと感じるもの。本当にみなさんが感謝しているんです」(内藤さん)

 だからボランティアにおいては、作業よりも、住民の方と話をすることを優先すべきとの意見が一般的だ。「毎日、避難所にいる被災者の方は、自分より被害が大きかった人の前ではグチが言えないんです。ボランティアの人はよそ者であるからこそ、話がしやすい。そういった、よそ者でないと果たせない役割がたくさんあるんです」(同)

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8月2日に復旧した、JR坂駅。広島駅からは5駅、19分。

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坂町災害たすけあいセンターは坂駅から徒歩8分ほど。

観光がてらのボランティアだって大いにアリ

 さて、今回のボランティアにおいて筆者は取材を兼ねていたため、直接小屋浦地区へと向かった。しかし本来ならば、坂町役場近くにある坂町災害たすけあいセンターでまずは受け付けを行うというのが一般的な流れだ。毎日午前9~12時が受け付け時間だが、できれば9時前には到着しておきたいところだ。その後、オリエンテーションを受けて派遣先が割り振られる。町内は10地区に分けられていて、小屋浦地区はそのうちの1つ、というわけである。

 幸い、8月上旬にJR呉線の一部区間が復旧。広島方面からJR坂駅までは電車で来られるようになった。坂駅から坂町災害たすけあいセンターまでは、徒歩8分ほどの距離だ。現在は小屋浦サテライトも「サポートこやうら」に昇格し、現地でのボランティア受け付けも行っているが、坂駅より南にあるJR小屋浦駅までは鉄道はまだ復旧していないため、坂町のセンターからの送迎で派遣されるか、自動車や自転車などで直接現地へ向かえる人限定であろう。

 さて、筆者が訪れた7月26日当日の小屋浦地区は、ボランティアの力が必要な建物のうち、実際に作業が済んだのはまだ1割にも満たない状態だった。全体の三分の一ほどは道路が土砂に埋まり、重機さえまだ入れていない状況であり、ボランティアの人手が必要な状況は最短でも秋までは続くと思われる。今回、お手伝いしたお宅のおばあさんも、撮影を許可してくださったのは「少しでも多くの人に助けに来てほしい」という思いがあるからとのことだった。

 経験のない人にとって、ボランティアに参加するための心理的障壁はいくつかの種類があると思う。筆者のように体力に自信のない人もいるだろうが、10分作業・10分休憩というペースは、翌日に体力面でのダメージがあまり残らない。オリエンテーションで、体力を使わない作業に割り振ってもらうこともできる。

 自分が行っても役に立たないのではないかという思いがある人には、ぜひ現地の方と話をしてもらいたい。内藤さんの言葉にもあったが、被災者の方はボランティアに親近感を持ち、本当にありがたく思ってくれている。筆者が東日本大震災のボランティアに行った数カ月後、岩手県へ仕事で出かけたことがある。震災は大変でしたねと言っても反応が薄かった現地の人が、ボランティアに行った経験を私が話した途端、フレンドリーに接してくれたということもあった。おそらく、筆者のことを「仲間」だと思ってくれたのだと思う。

 ボランティアがつまらなそうだと感じる人は、観光がてらでもいいのではないだろうか。現時点で代行バスしかない呉市は難しいかもしれないが、広島市内や宮島は現在も外国人観光客などで賑わっている。引け目を感じる必要はまったくない。喜国雅彦さんや筆者のように、仕事のついででももちろんいいと思う。

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渡瀬基樹

1976年生まれ、静岡県出身。ゴルフ雑誌、自動車雑誌などを経て、現在はフリーの編集者・ライター。自動車、野球、漫画評論、神社仏閣、温泉、高速道路のSA・PAなど雑多なジャンルを扱います。

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