愚かな少女信仰者に空虚な現実を見せつけた痛快作『ブリングリング』

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「ブリングリング: こうして僕たちはハリウッドセレブから300万ドルを盗んだ」早川書房

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『ブリングリング』 ソフィア・コッポラ監督

 アメリカで実際に起こった連続窃盗事件を元にして作られたという、ソフィア・コッポラ監督最新作『ブリングリング』は、ロサンゼルス郊外に住む十代の女の子たちが、パリス・ヒルトンやリンジー・ローハンの豪邸に忍び込み、ブランド品や宝石を、バレない程度に盗んでは、嬉々としてそれを身につけて夜遊びを繰り返す、バカバカしい物語。

 ソフィア・コッポラといえば、アカデミー賞監督を父親に持ち、兄も映画監督、親戚は俳優のニコラス・ケイジ。監督業をスタートさせる前はモデル・フォトグラファーとして活躍し、ファッションレーベル「MILKFED.」を立ち上げているソフィアは、デザイナーのマーク・ジェイコブスと超仲良しだからかルイ・ヴィトンからソフィアモデルのバッグが発売されているほどの超セレブだ。そんな彼女が、現代のセレブに憧れる十代の若者を描いた映画と聞けば、一体どんな皮肉に満ちているのかとにやにやしながら見てみたのだが、これがまったく退屈で凡庸な作品で、だから面白い。

 画面には次々と、ビバリーヒルズのどでかい家やら高級車やらルブタンのヒールやらシャネルのバッグやらロレックスの腕時計やらと派手なものが映し出され、それらはきらきら輝きを放っている。それを着けて喜んでいるスレンダーな女の子たちも、グロスたっぷりの唇をぴかぴか光らせる。でも、本当にそれだけ。きらきらしている、ぴかぴかしている、それ以上でも以下でもない。彼女たちの窃盗という行動も、ブランド品が欲しい、でも自分で買うお金がない、だからやるだけで、そこに深い意味なんてない。こいつらはどうやら本当に何も考えていないからっぽな生き物で、そんな若者の姿を映した映画が退屈でからっぽなのは、至極当然のお話。

 日本だと、十代の女の子がお金ほしさに援助交際なんかして、でもそれは彼女たちの孤独を物語っているだのなんだの、刹那的な少女の美しさだのなんだの、やたらと重々しく語られがちだ(特におっさんが少女の非行に意味を持たせたがる)。

 でも、ルーズソックス全盛期に女子高生だった私の実感としては、そんなこと本気でどーでもいい。欲しいものが欲しい、だけ。何を隠そう、私自身も買い物狂で、34になった今でもブランド大好き。援助交際をしてまで買わなかったのは、単に実家が金持ちで親が買ってくれたからという理由以外ないような気すらする。

 『ブリングリング』の少女たちは、セックスも、ラリったときくらいはするけど、ラリッてるからしたいだけ。ただのバカ。それが良いとか悪いとかじゃなく、バカはバカなんだから、仕方ない。ソフィア監督は、呆れるほど退屈で意味のない映画を作ることで、少女たちの「気持ち」を代弁するような儚く脆い世界ではなく、そこは代弁する「気持ち」すら存在しない空虚な世界だということを描いてみせたんだと思う。オヤジたちのキモい妄想に満ちた少女信仰に対して、これは大変気持ちのいい出来事(ましてや、スマートフォンを駆使しFacebookに投稿する彼女たちにとって、インターネットなんてものも、あるから使うだけ、だろう)。

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