
トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた
ケニアにあるカクマキャンプをご存知だろうか。世界最大規模の難民キャンプの一つで、主に南スーダンなどの紛争地域から逃れて来た人々が暮らしている。このカクマキャンプにはウガンダから逃れてきたLGBTの難民たちもいる。ウガンダは世界でもっともLGBTを迫害する国のひとつとされ、同性愛者が家を借りたり病院に行ったりすることを阻む法律が議論されたり、街で売られている新聞がLGBTの人々の写真や名前、住所をリストアップして晒したりするので、どうしようもなくなって国を出ようとする当事者が少なくないのだ。
このカクマキャンプに、今夏ひとりの日本人が訪れた。「虹ともアフリカ」というカクマのLGBT難民を支援する団体を立ち上げた嶋田聡美さんだ。彼女自身もトランスジェンダー女性で、2016年に「虹ともアフリカ」を立ち上げて以来、ほぼ一人で100万円もの寄付を集め、カクマのLGBT難民たちに送ってきた。野菜に肉、米、化粧品、それに聖書。物資面のみでなく、心理面でも難民たちと繋がりを持ち、がっちりと信頼関係を築いている。嶋田さんが「虹ともアフリカ」を始めたきっかけは、私も翻訳に関わったウガンダのドキュメンタリー映画『Call Me Kuchu』を観て衝撃を受けたからだそうだが、ほぼ一人で難民キャンプにいる彼らとコンタクトを取り、支援プロジェクトを始めた行動力は本当に素晴らしいと思う。
しかし、彼女の今夏のカクマキャンプ訪問は、波乱に富んだものになった。カクマキャンプもまたLGBTへの迫害がひどく、彼女がトランスジェンダー女性であることが知られると警察は賄賂を要求し、しまいには彼女を指名手配してしまったのだ。予定していた交流は短縮を余儀なくされ、彼女も難民キャンプのメンバーたちも泣くしかなかった。母国でどうしようもなくなって、飛び出してきた人々が暮らすのもまた過酷な環境であることを、彼女自身が身をもって味わうことになったのだ。地獄から逃げても地獄。ここから早く他の国へ行きたい、と願いながら難民たちは出国までの日を過ごしている。そして彼らへの風当たりは以前より強くもなっている。
今年の6月、カクマキャンプでは初めてのプライドパレードが開かれた。他の国々と同じようにアピールがしたいと願ってのことだったようだが、結果は思っていたよりシリアスだった。翌日になると同じくキャンプにいたスーダン人から「今すぐ出ていけ」という脅迫状が届き、キャンプ内で働きに出ていた人たちも雇ってもらえなくなった。毎日のご飯を食べるのも大変になって、いま、彼らは自分たちでニワトリを飼い、パンを焼き、小さなお店を出すことでなんとかやりくりしようとしている。ヒヨコも小麦粉も、もともとは日本からの仕送りを元に始めたものが、スモールビジネスとして軌道に乗りつつあるものだ。
カクマキャンプではLGBT難民に対する医療措置もひどい。LGBT難民が暮らす場所から片道3キロはなれた国連の病院にはスーダン人が雇われているが、LGBTであることがわかると治療が後回しにされてしまう。行っても薬の在庫がなく、何度も通う中で他の難民から暴力を受けることも稀ではない。このような惨状がありつつ、欧米諸国も、ケニアのLGBT難民の支援には乗り出していない。あまりにも地道すぎることを、日本の有志がやっている。このことは、もっと注目されても良いのではないかと思っている。
嶋田さんの「虹ともアフリカ」への支援は、こちらからできる。難民キャンプの状況が知られれば、より過酷な環境にあるLGBT難民たちが早く第三国に逃れられるようになるかもしれない。まずはカクマキャンプの状況を日本でも知らせたく、この記事を書くことにした。できることが何か考えてくれる人が増えることを願っている。