海外の人と仕事ができるのも、果物を食べられるのも、お金があるから
『お金さま、いらっしゃい!』の村にはお金がないので、子どもの遊びでもおもちゃのお金などは使わず、物々交換だったという。男の子が「おーいこれで何か売ってくれよー」と破れた紙を持ってくると、他の子たちから「そんなボロボロの紙じゃ何とも交換できないよ!!」と文句を言われ、遊びが続かない。物々交換だと、自分が売りたい物と相手が買いたい物がうまく一致しないと、交換が成り立たない。
一方、お金を使えば、そのような不便はない。お金を受け取りたくないという人はまずいないからだ。お札は、物々交換ごっこで嫌われた破れた紙と同じく、ただの紙でしかないが、お金として通用するから誰もがほしがる。
お金を使えば、遠くの町や国に住む、顔も見たことのない数多くの人たちとでも、さまざまな仕事で協力できる。海外のプログラマーやデザイナーにインターネット経由で仕事を発注することもできる。外国の果樹園で働く労働者、種を作る企業や研究者、運送業者など多数の人々と知らず知らずのうちに協力し、バナナ、パイナップル、キウイといった果物を味わうことができる。
遠くに住む人たちだけではない。異なる才能や資産を持つ人とも協力しやすくなる。たとえば、資産家と労働者は利害が対立するとよくいわれるが、そうとは限らない。労働者は働く能力があっても、そもそも職場がなければその能力を発揮できない。これに対し資産家は会社を設立し、労働者が働く職場や設備を提供し、見返りに売り上げを手にする。これも一種の分業であり、協力関係だ。
お金があるから、私たちは知らない人たちと仲良くなり、世界平和を享受できる
お金を通じた協力がもたらす効果は、互いに得をすること以外にもある。協力し合う個人の間に共感を育む。『お金さま、いらっしゃい!』で描かれるように、普通なら仲良くなれないかもしれないさまざまな人たちとの間に、つながりができる。
政治のニュースを見て中国や韓国に腹を立てる人もいるが、日本人の多くは中国に工場を建て、韓国で旅行を楽しみ、お金をやりとりして現地の人々と協力し、心を通わせる。それは決して大げさではなく、世界平和に貢献している。
お金が社会を分断するというのは嘘だ。お金は分業という協力関係を促し、人と人とをつなぎ、共感を広げる。お金に関心の集まる今、もっと素直に「お金さま」のもたらす恩恵に感謝しよう。
1 2