女子大を「時代錯誤の男性差別」だと訴えるウルトラCは、女子大の必要性を逆説的に証明している

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 そして樫原氏は<心の奥底まで覗くことは出来ない>とし、トランスジェンダーでもなんでもない<もぐりの男お茶大生>が生まれるのではないかとの危惧を述べる。

 つい先日、作家の百田尚樹氏もこれと同種の意見を提示していた。百田氏は〈よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!〉(7月5日のツイート)との文章を投稿し批判が殺到したが、要するに彼らは「女だらけのハーレムに下心を隠し持った不逞の輩が紛れ込む」と言いたいのだろう。

 しかし、本当に<もぐりの男お茶大生>なるものが生まれると考えているのだろうか。たとえ、そのような学生が生まれたとして、その学生に何か益はあるのか?

 性的マイノリティーに対する偏見の強い日本社会において戸籍上は男であるのにも関わらずお茶の水女子大に入学するというのは、その後の就職活動のことを考えれば優位に立てる経歴とはいえない。それでも譲れないものがあるから、また、多様な価値観が重んじられる社会を実現させたいから、お茶の水女子大もトランスジェンダーを受け入れるし、生徒も入学を決意する。

 大学や学生の真摯な思いを愚弄するようなこのような言説は到底看過できるものではない。そもそも<もぐりの男お茶大生>という想定自体が馬鹿げていて、想像力が貧困すぎる。

 樫原氏の原稿はまだ続く。「新潮45」寄稿のコラムでは、<そんなややこしい手間をかけるより、いっそこの際、男女共学にしてしまったらいいではないか。トランスジェンダーの受け入れなどと半端なことをいい出すから、好奇の目が女子大に注がれるのだ。考えてみれば、男女共学の時代になぜ女子大なんていう存在が罷り通っているのか不思議といえる。しかも国立大学で>と女子大の共学化を訴えたうえで、<国立大学なのに男は入れません、2年後に「性自認が女」だけ入れてあげるとは、怖ろしく時代錯誤の逆差別ではないか>とロジックを展開するのだ。

 樫原氏は<逆差別>の論拠として、女子大学に務めている優秀な教授の授業を男子学生は受けることができないことを挙げているが、お茶の水女子大が共学化という道をとらずに、今回のような施策をとったのには理由がある。

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